聖書:イザヤ書50章4-11節、ヨハネによる福音書19章1-16節

【説教の参考に】

ローマ総督ピラトが主イエスを裁くこの箇所には、驚くほどの矛盾、また相反するものの一致が記されています。主イエスは兵士たちに茨の冠をかぶせられ、紫の服を着せられ、平手で打たれます。ピラトは、「見よ、この男だ」と言ったと記されています。言ってみれば、ピラトはユダヤ人に対して、「このあわれな人を見なさい」と、同情を呼び起こしているのです。しかし、「エッケ・ホモ」というラテン語のこの言葉は、教会の歴史の中で、「救い主であるこの方を見なさい」という、全く正反対の意味になりました。讃美歌280番(「讃美歌21」)の3節に歌われているように、「すべてのものを あたえしすえ、死のほかなにも むくいられで、十字架のうえに、あげられつつ、敵をゆるししこの人を見よ」との信仰の言葉になりました。

もう一つここでは「ユダヤ人の王」ということがテーマになっています。しかし、だれも本気で主イエスをユダヤ人の王と思っている人はありませんでした。彼らは嘲笑し、皮肉を込めて、「ユダヤ人の王」と言ったに過ぎません。しかし、主イエスはユダヤ人の王として十字架につけられます。ピラトがユダヤ人たちに皮肉で語ったこの言葉は、実は神の救いの歴史の中で真実を告げ始めます。この兵士も武器も持たない王は、世界を支配することになるのです。