聖書:アモス書5章1-9節、ヨハネによる福音書19章17-27節

【説教の参考に】

ヨハネ福音書は主イエスが「自ら十字架を背負い」、ゴルゴダへ向われたと記しています。共感福音書のようにキレネ人シモンが代わりに背負ったとは記していません。これは主イエスのご意志であることを強調しているのです。

兵士たちは、主イエスを十字架につけてから、その服を4つに分け、下着まで、くじ引きで決めたと記されています。ここには処刑が慣れっこになっている兵士たちの、無感動になった仕事の有様が描かれています。人の死よりも、自分の利益、取り分の方が重大事なのです。まさに人間のエゴイズムの極致と言えるでしょう。人間のエゴイズムの極、死の渇きの底で、神のみ旨は成就したのです。主イエスはそんな中でも、愛の配慮をやめません。母と弟子のために、温かい配慮をしています。母に言います、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」。愛する弟子に言います、「見なさい。あなたの母です」。主イエスは死に臨んで、彼らを最後まで愛し通されました。最後まで残った弟子は、大祭司の知り合いであり、婦人たちは、当時、低い地位にあったので、まさか捕まえやしない、という安心感があったのかもしれません。逃げてしまった弟子たちだけでなく、とどまった者も、主体的にどどまったのではなく、立っていただけなのです。主導したのは主イエスのみです。