聖   書   詩編第88編2-13節 、ヨハネによる福音書19章38-42節

【説教の参考に】

主イエスが十字架にかけられた時、ヨハネ福音書によると、二人のマリアと愛する弟子と記されている弟子の他は、みな逃げて隠れていたようです。そんな中、ここに驚くべきことが起こります。「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た」と記されているのです。この資産家は、ひそかに主イエスを慕っていたのでしょうか。それとも、何らかの具体的な主イエスとの関わりがあったのかは、推測するしかありません。なぜ、恐らくニコデモと同僚の議員であったと思われるこの人物が、ここにだけ出てきて、総督ピラトに話をつけて「遺体を、きれいな亜麻布に包み、自分の新しい墓の中に納め」(マタイ15・59)葬りをしたのか不思議です。弟子とは主を愛する者です。その弟子たちが逃げてしまったとき、神は外から人を起こされます。自分が主の弟子であることを隠していたヨセフが勇敢になりました。十字架は、そのように人を勇敢にさせるのです。私たちの信仰の勇敢さは、神の賜物にほかなりません。アリマタヤのヨセフはここにしか出てきません。この一日のために奉仕したのです。神に背くことしか出来ない私たちも、主に用いられるのです。