聖   書  イザヤ書60章17-22節、ヨハネによる福音書20章1-18節

【説教の参考に】

ここにマグダラのマリアが登場します。彼女は週の初めの日、つまり、日曜日の朝、まだ夜も開けきらない暗いうちに主イエスを葬った墓に行ったのです。復活が日曜日の朝起こったとされる起源はここにあります。ユダヤ教の中から生まれたキリスト教は、日曜日を主の日とする宗教として確立されることによって、ユダヤ教とは全く違う宗教であることが自他共に明らかにされたのです。

マグダラのマリアという人は、主イエスの足を涙でもって拭ったとも言われ、「罪深い女」とも言われますが、なぜ主の甦りの光の中に最初に立ち会った女性となったのか、不思議です。弟子たちの多くが恐れて、隠れていた中でのことです。マリアは、亡きイエスに対する激しいまでの思いはありながら、復活の主の姿を洞察する信仰の眼はなかなか開かれません。「わたしの主が取り去られました」と訴えます。ここには主イエスの過去に固執してやまないマリアの姿があります。しかし、主イエスは、マリアに「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われたのは、復活の主がマリアの管理下にはない、ということにほかなりません。「さわらないで信じる」信仰の関係が信じるということです。懐疑的なトマスに言われた「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」も主のお言葉です。