聖書:エゼキエル書13章8-16節、ヨハネによる福音書18章28-40節

【説教の参考に】

この箇所から総督ピラトの前における主イエスの裁判の記事が始まります。ファリサイ派や指導者たちは、イエスを大祭司カイアファのところから総督官邸に連れて行ったのですが、彼らは自分では官邸に入らなかった、というのです。なぜなら、過越しの食事の前に、異邦人と接触することは汚れたこととされていたからです。彼らは自分たちで主イエスの死刑を決めてから、死刑の実行をピラトにさせたのです。汚れないで過越しの食事をするためだった(28節)からと記されています。総督ピラトは哀れなほど、ユダヤの指導者たちの顔色を見ながら、行ったり来たり保身に終始しています。

主イエスは、「わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た」と言われたことに対して、ピラトは「真理とは何か」と問うています。真理はキリシャ語で「アレーセイア」と言いますが、私たちもその問いを、自らの問いとしなければなりません。大学や図書館に「真理はあなたたちを自由にする」という言葉が掲げられたりしますが、私たちを自由にする「真理」とは何なのかを知らなければなりません。聖書でいう「真理」とは、科学が研究対象としている「そのもの」を創造された方、その創造に関わる存在、それが真理そのものである。被造物の限界を認識することが大切です。