聖書:ホセア書11章8-9節、ヨハネによる福音書18章19-27節

【説教の参考に】

主イエスが大祭司の屋敷でアンナスから尋問を受けている時、ペトロも庭で門番の女中から裁かれていました。そして、再び、今度は、ペトロが片方の耳を切り落とした大祭司の僕の身内の者から、こう言われた。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか」。窮地に陥ってペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。この場面は福音書の全てに出てきます。恐らくペトロ自身も何度も語り、初代教会に伝承されていたに違いないのです。主イエスは弟子たちが一人も犠牲にならないように配慮したにも拘らず、ペトロはおせっかいをしたのです。しかも窮地に追い込まれ、勇気がくじけたのです。「わたしはイエスの弟子だ」と言えなかったのです。ペトロは、ここで主イエスの裁きに覆われるような形で、自分の罪の事実を認めざるを得なかった。だから、主イエスの裁きの話が語られる時には、いつも自分の話がそこで語られざるを得なかったのです。自分の愚かさを見ざるをえないのです。しかし、その自分の愚かさを覆い包んでしまっている主イエスの恵みを思わざるを得ないのです。わたしの罪に勝ったのは、この方です。人類の罪に勝ってくださったのは、この方です、と語らざるを得なかったのです。私たちもまた、同じです。恵みがどんなに深いかを知るのです。