聖書:ゼカリヤ書12章7-14節、ヨハネによる福音書19章31-37節

【説教の参考に】

「翌日は特別の安息日であった」という意味は、過越しの第一日でもあったから「特別な日」であった訳です。ユダヤ人たちは、受刑者の死を速めるために、足を折った。長引いて苦しみ続けることを避ける意味もあったらしい。ところが主イエスのところに来ると、もう死んでいたので、足を折ることをせず、兵士の一人が、主イエスの脇を槍で刺した。すると、すぐ血と水が流れ出てきました。このことが起こったのは、出エジプト記12章46節の「その骨を折ってはならない」という言葉が成就するためだ、とヨハネ福音書は言っているのです。これは過越しの子羊の骨のことを言っています。ヨハネ福音書は、このことの成就を強調することによって、主イエス・キリストが、過越しの子羊として十字架につけられたことを信じて、告白しているのです。それゆえ、主イエスの体から、血と水とが流れてきたことは重要です。水は洗礼を表し、血は聖餐を表しています。水も血も十字架を表しています。洗礼の水は、私たちの罪汚れを洗い落としてくれるもの、しかし、水自体に、罪を取り除く効力があるわけではありません。その背後に主イエス・キリストの十字架の御苦しみがあるのです。私たちの罪が、赦されるために、神は苦しまれ、その御子が犠牲を払われ、血が流されているのです。