【エフェソの信徒への手紙4章26節】

怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。

 人間は、社会に対して、隣人に対して、そして自分にたいして怒ります。八木重吉の詩集に「怒り」と題してつぎのような詩があります。

  かの日の 怒り  ひとりの いきもののごとくあゆみきたる

  ひかりある    くろき 珠のごとく うしろよりせまってくる。

 自分に身近な怒りは、そう簡単には消えないものです。パウロは、当時の社会に、真実がいい加減にされる世の風潮に対して怒りに燃えていたのです。聖書には怒りの記事が多くあります。モーセが十戒の石板を、偶像礼拝に取り憑かれた民に、怒りに燃えて投げつけた故事や、主イエスが偽善と不真実なファリサイ派に怒る場面も強烈です。しかし、私たちは、怒りにまかせて罪を犯してはならないとパウロは警告しているのです。26節の英語の訳は、〝Be angry, but do not sin〟すなわち「怒れ、しかし罪を犯してはならない」で、聖書原典でも同じです。「怒るべき時には怒れ、しかし罪を犯すな」と言っているのです。

しかし、残念ながら人間は、自らが「罪人の中で最たる者」(Ⅰテモテ1・15)ですから落ち込んでしまう。キリストにより、神の真実へと悔い改めに導かれるよりほかはない。「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」は、人間の実際の姿への深い思いやりというべきか。ユダヤでは、一日は、日没から次の日没までである。つまり憤りはその日の一日だけにしていけ、ということだ。