【ローマの信徒への手紙6章4節】わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

初代教会では、洗礼の行われる機会は年に一度、復活祭の日と決められていたようで、洗礼志願者は教会の指導を受けて教義の理解や生活指導を受けたのです。そして初代教会が迫害され、その中で、一人一人の信仰は木の葉のごとく揺さぶられたのですが、その時、どこに信仰の確かさがあったのか。それは洗礼を受けているという一つのことであったのです。そしてキリスト者は生涯を掛けてこの洗礼の意味を味わうのです。神の恵みと救いの深さを、少しずつであるけれど味わい確かめつつ生きるのです。そして、洗礼の恵みと救いに生きたキリスト者の物語は無数にあります。マルチン・ルターは自分の死が迫った時、こう言ったという。「私の愛する私の終わりの時よ。私を照らす永遠の光によって私には明日がある」と。新約聖書は主イエス・キリストを繰り返し「世の光」という。この「世」は夜に通じるのです。私たちは人生の夜においていよいよ夜の光なるイエスを信じ希望を燃やし続けて行くのです。