「悲しみが喜びに変わる」

イザヤ書26章12-19節、ヨハネによる福音書16章16-24節

【説教の参考に】

「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、・・・」(16節)とは、もうすぐイエス・キリストは、十字架にかかり、死なれることを表しています。しかし、それには復活が続きます。しかし、その意味がイエスの弟子たちには分かりませんでした。私たちは、人生に喜びのみを求めますが、しかし、それはすぐに悲しみに変わるものです。喜びも悲しみも移ろい行くということを、昔から「人間万事、塞翁が馬」とか、「人生の禍福は、あざなう縄のごとし」と言いました。しかし、今、イエスの弟子たちの出会うものは、それとは違っています。主イエスは言われました。「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」と。そして、その変えられた喜びは、決して悲しみに戻ることはないというのです。悲しみが喜びに変わってしまうと言っているのです。しかもそのことを、具体的に、出産の時の、生みの苦しみにたとえて主イエスは語っています。ひとりの人が世に生まれたという喜びが、その苦しみを忘れさせるのです。母が子を生む時の苦しみは、主イエスが私たちを新しい神の子として生み出してくださる、十字架の苦しみをなぞっているだけとも言えるのです。大きな喜びが待っているのです。

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