【マタイによる福音書5章4節】悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。

悲しむことは誰にもあります。教会は、この言葉を二通りに理解してきました。一つは、悲しむというのは、自分の罪を悲しむことであるということです。もう一つは、人の罪を悲しむことだと言うのです。 主イエスは、悲しむ人は幸いだと言っていますが、悲しんでいる私たちの現実の中に、幸いを作り出してくださるのです。それが「慰められる」ということです。それは悲しみの原因がなくなることではありません。 「慰める」という言葉は、「そばに呼ぶ」という言葉から出来ていると言われます。悲しみは無くなっていないけれど、悲しみを背負いながら、それに負けずに生きていくことが出来るように、主イエスが慰め、励まし、アドバイスしてくださるということなのです。問題に負けずに生きる力を与えてくださるということであって、問題が無くなったということではないわけです。私たちが悲しむ時、それは主イエスに呼ばれている時なのです。その時、すぐに主イエスに近づくことです。祈ること、聖書を開くことです。悲しむべきことはたくさんあるけれども、神様の慰めの中で、悲しむべきことを悲しんでいきたいと思います。そう言える私たちは幸せな者です。