はじめに
大部前のことになりますが、西湘南地区の信徒研修会で講師にお招きしたキリスト新聞社の若い社長が、自分の経歴を始めに語っていました。彼の家庭は改革派の信仰を持ったご家庭で、父親も、兄も牧師というクリスチャン家庭に育ったそうですが、そういう牧師の姿を見て育った彼は、面白いことを言っていました。牧師は毎年、クリスマスが近づくと同じ聖書の箇所から何度も説教を考えなくてはならない。そんな大変な職業には自分は就きたくないので、牧師にはならなかった。というようなことを語っていました。確かにそれは当たっています。クリスマスの出来事は、マタイによる福音書とルカによる福音書にしか記されていません。マルコによる福音書はバプテスマのヨハネからイエスが洗礼を受ける場面から始まっています。クリスマスの聖書箇所は、十字架の受難の記事に比べて極めて少ないのです。マタイとルカの、この二つの福音書の箇所から毎年、何回も説教を語ることになります。そして、マタイによる福音書は男性である夫ヨセフを中心に書かれていますが、ルカによる福音書は女性であるマリアの側からクリスマスの出来事が描かれています。今朝はルカがマリアの立場から書いた受胎告知の場面です。ちなみに私が大磯教会に赴任して、何回、この受胎告知の箇所から説教したのかを過去の礼拝準備表から調べて見たら3回説教していました。今朝は4回目です。今回はどういう切り口から語るかと考えましたが、それが37節の「神に出来ないことはない」という説教題に付けた御言葉です。しかし、礼拝説教は聖書の説き明かしですから、今朝のメッセージも同じ事が語られることになります。
わたしは主のはしため
クリスマスは毎年12月にやってきます。しかし、聖書にはイエス・キリストの誕生は12月25日だということはどこにも書いてありません。それどころか冬の季節だということも書いていません。12月25日にキリストの誕生を祝うようになったのは、何世紀か後になって、冬至(夏至とか冬至とか言う場合の冬至です。)その冬至の祭りとキリストの誕生が結び付けられた結果なのです。主イエスの誕生日が本当はいつだったのかは分かりません。いずれにしても二千年前、クリスマスを前もって知っていた人間は、ひとりもいませんでした。これは、神がご計画されたことだからです。ナザレの町に、平凡な田舎の娘が、ひそかに心を痛めていました。マリアはヨセフのいいなづけとして定められていましたが、まだ一緒に暮らしていないのです。身ごもったとすれば、ただ事ではありません。その悩みはどんなに深刻であったことでしょう。天使ガブリエルの語る言葉に、マリアが答えた言葉「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」。はしためというのは、女奴隷のことです。マリアは、恐らく14,5歳であったと思われますが、今の中学生の感覚とは違います。もう少し大人であったと思いますが、私たちが聖母マリアに抱くイメージよりはもっと幼かったのです。しかし、マリアは、そのとき、自分を、全く神のみ手にまかせきっていたのです。今は、奴隷制度はありませんが、私たちも、神の奴隷、キリストの奴隷なのではないでしょうか。私たちは、罪の奴隷になっていたのに、キリストの救いによって贖われたのです。贖うとは、買い取るということです。キリストに買い取られたのであれば、私たちもまたキリストの奴隷なのです。
天使ガブリエルは、マリアのところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28)と。ナザレという田舎町の普通の女性の一人にすぎないマリアには、何が自分の身に起きようとしているのか理解できませんでした。
主の受胎という待降節の出来事は、神の御業であり、神が人間を信頼した行為です。人間には何も神の前に信頼に足る資格は無いにもかかわらずです。神の御業にとっては、マリアが自分に自信がないとか、ナザレという町がどんな町であるかなどは問題ではないのです。大切なのは、神が事を行われる、そのことにほかなりません。
天使はマリアに「恵まれた方。主があなたと共におられる」と伝えたことは、わたしたちにも実現しています。わたしたちが信仰生活をおくっているのも、神の恵みであり奇跡です。わたしたちが洗礼に導かれ、神に礼拝を献げ、あるいは伝道することは神の一方的な恵みの賜物です。「主が共にいてくださる」、つまりインマヌエルという言葉。このことが一番の神の恵みなのです。イエス・キリストがこの世に来られたのは、神が私たちと一緒にいてくださる、という事実を確信させるためでありました。キリスト者にとって、どんな時にも慰められる言葉はインマヌエル(神はわれらと共にいます)の言葉ではないでしょうか。神が一緒にいてくださることを、心の底から信じることができたら、何も恐れることは無いのです。クリスマスは、誰もがこの言葉と事実を、心から聞く用意をしなければなりません。人間は最後には一人になります。いくら温かい家族があっても、また交友関係が広く親密でも、最後は産まれた時と同じように一人です。コロナ禍で疫学的な観点からコロナで亡くなられた方々は親族にも会えず、病院から直接火葬場へと向かいました。ようやく政府もほぼ今まで通りに最後の別れもまた葬儀式もできるように規制を解除するようです。しかし、どのような時にも主イエスだけは、私と共にいてくださる。インマヌエルの約束は私たちに限りない慰めと希望を与えてくれるのです。主イエスだけは私と共にいてくださることは、何と大きな慰めでしょうか。恵みでしょうか。しかし、そうは言っても、実は私たちはクリスマスに慣れきっているのではないでしょうか。当たり前のように思っていることはないでしょうか。「主があなたと共におられる」。この力ある慰めの言葉をアドベントの今あらためて思い返したいと思います。
神に出来ないことは何一つない
「神にできないことは何一つない。」という37節の言葉は、普通、神の全能、つまり神は何でもできる、というふうに私たちは考えます。しかし、原文を直訳するとこうなるようです。「なぜなら、神においては、全ての言葉は不可能ではないからだ」となると言うのです。そこには「言葉」という鍵となるフレーズがあるのです。神の言葉は全て実現する、実現できない言葉は何一つない、ということを言っているのです。それゆえにマリアは、この天使の言葉を受けて38節で「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言ったのです。神が語られた言葉は必ず実現すると告げられたことを受けて、「その神様のお言葉がこの身に実現しますように」と言ったのです。少し説明がくどくなりましたが、つまりマリアがここで信じて受け入れたのは、神は何でも出来るという一般的な真理ではなくて、神は語られた御言葉を必ず実現することができる、それゆえ私に対して語られた御言葉も必ずその通りに実現してくださる、ということだったのです。神が語って下さった恵みの言葉を実現して下さることを知ってこそ、私たちは全能なる神を信じることができるのです。ですから、「神にできないことは何一つない」という言葉をマリアは信じ、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」とお答えしたのです。だから、私たちにも「キリスト教など信じない」と言っていた人が教会に来るようになる、という逆転が起こることもあるのです。聖霊が私たちに臨むなら、神の側には何一つ不可能ということはありません。
エッサイの根より
この後歌う讃美歌248番「エッサイの根より」というクリスマスの讃美歌は、ドイツのケルンで印刷された『古カトリック教会の霊的歌集』(1599年)に最初に掲載されましたが、その元は、ドイツと接するフランス国境に近いトリーアというドイツの古都にある修道院で、修道僧のコンラドゥスという人が、自分の毎日の祈禱のための覚え書きとして、年間カレンダーのような形で書いていたものです。旋律はライン地方のキャロルという輪になって踊る踊りで民謡のような曲で歌われました。この讃美歌の1節に「エッサイの根よりおいいでたる、預言によりて 伝えられし ばらは咲きぬ。静かに寒き 冬の夜に。」とあります。この歌詞の元になった聖書の御言葉は、イザヤ書11章1節の次の言葉です。
1エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち 2その上に主の霊がとどまる。
修道僧のコンラドゥスは謎解き歌のように歌いました。第1節を次のように歌いました。
1 バラの芽が萌え出ました、やさしい根から、昔の人が告げたように、エッサイの一族からです。その芽は小さな花を咲かせました、寒い冬の夜、その真夜中に
ところがイザヤ書には「バラ」と書いてありませんし、「花」とも書いていません。エッサイの「株」から芽が出て「若枝」が育つと書いてあるだけです。しかし中世では、この預言は、エッサイの根から「バラ」の芽が出て「花」が咲く、その「バラ」はマリアで、「花」はイエスだと解釈されて、教会のステンドグラスや版画に繰り返し描かれてきました。この「バラ」とそこに咲く「花」はだれのことなのか、というのが第一節の謎で、それに第二節で答が示されています。第二節はこうなっています。
2 バラ、私が言った、そしてイザヤが告げた、そのバラは純潔なマリアのこと。彼女は私たちのために小さな花を咲かせました、神の永遠の計画によって 彼女はひとりの子を産みました。それでも純潔な処女のままでした
ところで、ここには「バラ」という言葉について理解の食い違いがあります。「バラ」と言えば「バラの花」を指すのが普通ですが、しかし時には植物としての「バラ」、つまし「バラの木」を指すこともあります。そして、元来のカトリックの歌では、明らかに、この「バラ」は「バラの木」のことです。エッサイの根から「バラの木」あるいは「バラの芽」が出て、そこに「小さな花」が咲くのです。しかし、ドイツ人にとって、「バラ」という言葉は、第一感としては、どうしても「バラの花」のイメージです。ですから「バラの花」がマリアだと受け取られてきました。
その後、プロテスタントのルター派の大作曲家であるミヒャエル・プレトリウス(1571-1621)が、この「バラ」はイエスのことであって、マリアは「バラ」をもたらしただけだ、と変更したのです。
ところで「エッサイ」とはなんでしょう。ダビデの父の名がエッサイです。ユダのベツレヘムの出身で8人の息子がいたとされ、末の子がダビデです。エッサイは羊飼いをしていました、羊飼いは社会的に低い人たちの仕事とされていました。ですから、エッサイの根株から新芽が生えというのは、軽蔑的、侮辱的な表現だったのです。しかし預言者イザヤは華やかなダビデから出たとは言わないで、そのエッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶと預言しました。そのように生まれるみどり子は、へりくだった状態で生まれてこられるということを示すためだったのです。切り倒されて根株しか残っていないという全く絶望的な状態の中に、それを打ち破るかのようにしてキリストが生まれたのです。それがエッサイの根株から新芽が生えという意味です。神は、焼け焦げて、もう命さえもないかのような切り株から新芽を生えさせ、そこから若枝が出て実を結ぶようにしてくださいました。誰もが絶望している時に、誰もが期待していないような中で、神の救いが現れたのです。もう何の命も、何の望みもないと思われるような中に、神の救いが始まったのです。そう考えると、この「エッサイの根より」という讃美歌は、誰もが振り向きもしないような馬小屋の飼い葉桶の中でお生まれになった救い主をお迎えするアドベントの讃美歌としてふさわしいと思います。
恵みの御言葉は十字架において実現した
神の恵みの御言葉は、主イエス・キリストの十字架の死と復活において実現しました。神の独り子であられる主イエスが、私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さったこと、また父なる神が死の力を打ち破って主イエスを復活させ、私たちに罪の赦しと永遠の命の希望を与えて下さったこと、そこにおいてこそ私たちは、神の全能の力を見ます。「神にできないことは何一つない」。そのことは、主イエスの十字架の死と復活においてこそ分かるのです。そしてこの「できないことはない」という神の恵みの言葉が、今ここにいる私たち一人一人にも語られているのです。年若いマリアが「お言葉通り、この身になりますように」とお答えしたように、私たちも、どんなことにも感謝する生きた信仰を持って、主の恵みに生きたいと思います。祈ります。