はじめに
先週の礼拝は講壇交換の礼拝で、横須賀の武山教会から柏木英雄牧師が来られ説教され、私は武山教会で説教させていただきました。いつもと違う教会で礼拝することは新鮮な思いで、また発見することもあります。武山教会では主の祈りや信仰告白の唱和は、一言ひとこと区切ってゆっくり唱和していました。柏木牧師は、おそらく大磯教会の主の祈りの唱和は早くてつんのめりそうになったかもしれません。献金者の祈りも、武山教会では、おそらく決められた言葉で簡潔に献金の感謝を祈っていました。多くの発見があり、新鮮な思いを与えられ感謝でした。柏木牧師からのお礼のメールにも、新鮮な思いで、大磯教会で礼拝が献げられた感謝が記されていました。どんなことにも感謝する生活は大切です。信仰生活も同じで、神の恵みに感謝して生きるのか、そうでないかは、随分、信仰生活の在り方が違ってきます。今朝は、神の恵みに感謝して生きることのすばらしさを御言葉を通して学びたいと思います。
重い皮膚病に罹った人たち
今朝の話しは、主イエスがエルサレムに上る途中、ガリラヤからサマリヤに向かう際に入られた村での話しです。重い皮膚病を患っている10人が出迎え、遠くから声を張り上げ「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」とお願いしたと記されています。重い皮膚病に罹った人は、律法の規定によると、祭司に診せ、そうだと診断されると「あなたは汚れている」と言い渡され、隔離されました。町や村、家族から離れ、自分たちだけでひっそりと暮らしていたのです。だから、彼らは遠くから叫ばねばならなかったのです。ここには重い病の故に世から離れ、差別され、世から捨てられるようにして生きていた人たちの姿があります。その叫びには、病による苦しみだけでなく、世から差別されながら生きる者の苦しみが込められています。
主イエスは、その叫びを聞き、心動かされ、深く憐れみ、大声で「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われます。律法では、重い皮膚病が治ったら祭司に診せ、治ったと判断されたら社会に復帰できたので、主イエスはそう命じられたのです。10人は主に命じられたように祭司の所に向かいます。そして、その途中で10人は重い皮膚病を癒やされます。ここには病の故に苦しみ、叫ぶ人々の姿と、その苦しみに応えて深く憐れむ主イエスの姿があります。
神を賛美しながら戻ったサマリヤ人
主イエスは、その叫びを聞き、心動かされ、深く憐れみ、祭司たちの所に行って体を見せなさい、と言われます。主イエスがこの時なさったことは、その場で声をかけて癒やされることではありませんでした。そうではなくて、祭司たちの所へ行って体を診せなさいと言われたのです。病が癒えたかどうかの診断は祭司がしたのです。
学者たちの推測によれば、祭司はエルサレムにいるので、そのエルサレムまで行かなければなりません。何日もかかったかもしれません。しかし、この10人は、この主イエスの命令に従いました。信じたのです。主イエスの言葉にすべてを賭けて歩き出したのです。ところが、そのようにして歩き始めた道の半ばで自分たちが癒やされたことに気がついた。15節にこう記されています。「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。」と。ここで初めて、10人がひとまとめではなく、1人と9人に分れてしまいます。ここで分裂が生じます。この15節に「自分がいやされたのを知って」とありますが、この「知って」というのは、自分が清められたのを見てということです。重い皮膚病は、癒やされれば目で見て鮮やかに分かることです。この男は、ハット思った時に、直ちにきびすを返して、大声で神をほめたたえながら主イエスのところに帰って来たのです。他の9人も癒やされたことに気が付いたに違いありません。ここで9人と1人の間に、判断の違いがありました。9人は、癒やされたことは出来るだけ早く祭司に診せ、確かめてもらわなければいけない。そうしないと世間で通用しない。9人はそう思ったでしょう。私たちもそう思うかも知れません。確かにそれだけ苦しんでいたのです。早く重い皮膚病の全快を証明したかったと思うのです。まず祭司に診せて、自分たちが清められたことを確認した上で、イエス先生にお礼に行っても遅くはないと思ったかもしれません。
ただ、このひとりの男だけは、自分の体の清めを祭司に確認してもらうよりも何よりも、すべてに先立ってしなければいけないことがあると思ったのです。それは神をほめたたえることです。この15節の言葉「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻ってきた。」何と、神をほめたたえる美しい言葉ではないでしょうか。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝したのです。なぜ、病気を癒やされたこのサマリヤの男は、主イエスの足もとにひれ伏して感謝したのだろうか。それは自分の肉体が清められたことが嬉しかっただけではないのです。このサマリヤの男は、主イエスの愛の業の背後に神を見たのです。神の恵みを見たのです。ここに神が生きて働いておられる。それにまっすぐに応えたのです。
よきガリラヤ人の話し
サマリヤ人の話しで有名なたとえ話があります。「よきサマリヤ人の話」です。強盗に襲われ、傷ついて放り出されていた旅人のユダヤ人を、いつもユダヤ人にさげすまれ、憎まれているサマリヤの人が助けました。
しかし、この箇所では話は少し違います。このサマリヤ人からすれば、ガリラヤのユダヤ人たちはいつも自分たちと対立する人たちであり、主イエスもまたその仲間です。だから主イエスもガリラヤの人たちだけを癒やすこともできたはずです。私たちもそう考え易いのです。今、ロシアがウクライナを侵略しているので、ロシアに対する憎しみが渦巻いています。ロシア軍がひどい目に会えば、むしろいい気味だなどと考えてしまうことが起こりかねません。ここで主イエスがなさったことは、あのよきサマリヤ人の物語をひっくり返して、サマリヤ人に対する「よきガリラヤ人」の物語を示されたと言うことができます。それはまさに敵を愛する愛の物語です。そしてこの愛の姿の中に、神の憐れみがあると、サマリヤ人は感じ取ったのです。
他の9人はどこにいるのか
この賛美にあふれて、主イエスの足もとにひれ伏したサマリヤの男に目を留めつつ、主イエスはこのように言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」。サマリヤの人々とはもう外国人としか呼びようがないような関係にありました。しかし、その外国人の男はここへ戻って来たのです。そして19節で、こう言われます。
19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」
今朝の話の重点は、この「あなたの信仰があなたを救った」という言葉にあります。ここで言う「信仰」「救い」とは何か。そこが重要なポイントです。ルカによる福音書8章には「12年間、出血が止まらなかった女性の癒し」の話があります。群衆の中におられた主の後ろから、その衣に触れて癒された女性の話です。そこで主は彼女に向かって「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。ここでの「信仰」とは、「主イエスに救っていただきたいと切実な思いで主イエスに近づいたこと、救いを求めたこと」を指しています。また7章では部下の病を癒してほしいと主のもとに知人を遣わした百人隊長の話があります。主イエスに対して「ただ一言、おっしゃってください」と言葉を伝えた彼に対して、主は「これほどの信仰を見たことがない」と称賛されました。この「信仰」とは、「主の言葉に対する絶対的な信頼と服従の姿勢」を指していると言えるでしょう。
それに対して、この17章19節の言葉、「あなたの信仰があなたを救った」の「信仰」とは、救いを心から喜び、神を賛美し、主に救われた感謝と喜びの中に生きてゆくこと、と言えます。今日ここで教えられる「信仰」とは、そのことです。つまり、信仰とは、「神の救いと恵みを喜び、感謝して生きること」なのです。そして、この神の救いと恵みに対する感謝と喜びこそ、私たちの信仰生活、そして、人生を力強く支える大きな力なのです。
主イエスの御業に対する感謝
先々週の礼拝に、島根県の隠岐教会の牧師夫妻が出席されていました。遠くからよく来られたと驚きましたが、礼拝の後で、いろいろと話していて、若い時、横浜の清水ヶ丘教会におられたとか、何々牧師が神学校の2年先輩だとか、知り合いの牧師の消息などを話していましたが、実は、仲間の牧師から、大磯教会に行ったら会ってきてほしいと言われた人がいると言うのです。天に召されたI姉妹の事でした。1月4日に天に召されたことをお伝えすると、大変驚かれました。大磯教会の長い教会員で長老でした。新島襄碑前祭のご奉仕や、さまざまなご奉仕をされた姉妹であることを話しました。会ってくるように頼んだ牧師は、I姉妹のご実家でもある島根県の横田相愛教会の牧師でした。昨日、その横田相愛教会の牧師から電話があり、若い女性の牧師のようですが、歴史ある教会であるが会堂の保存修理に困難を覚えていることや、I姉妹の実家の岡崎家が祖父以来、身内に同志社出身の牧師も多く、教会、病院、織物工場、学校を設立したが、今あるのは教会と病院があるのみだと言っていました。大磯教会が文化財として保存改修工事をしたこともI姉妹から聞いているようでした。私も、この歴史ある文化財の教会のことはI姉妹から聞いていたので、もう10年位前、私が車で九州に行った際、帰りにその教会に寄るつもりで行ったのですが、勘違いして、違う近くの同志社系の教会を訪問してしまった事がありました。今では思い出です。I姉妹は、控え目な方のように思われましたが、新島襄先生を尊敬し、神を賛美し、教会と同志社を通して恵まれた信仰の道を全うされた姉妹でした。生涯で最後となった「
『大磯の地塩』第55号へもしっかりと原稿を出され、また生涯の最後のクリスマスとなった礼拝にもお子さん、お孫さんもつれて出席されました。信仰とは、「神の救いと恵みを喜び、感謝して生きること」と言いましたが、I姉妹の信仰にそのことを思いました。
私は大いなる集会で賛美を献げる
今朝の旧約聖書の御言葉は、詩編22編25節から32節です。浅野順一著『詩編』によると、詩編22編は、キリスト者にとって忘れようとしても忘れ得ざる痛ましい詩である。それは今さら言うまでもなく、十字架上のイエスが最後に叫んだ言葉が、詩編第22編の1節にあります。この詩編の冒頭の「わたしの神よ、わたしの神よ。なぜわたしをお見捨てになるのか」という有名な言葉があるからである。と書かれています。確かにこの詩の前半は、神に詩人の苦悶を訴えている詩であります。しかし、後半は、神を賛美している歌でもあります。25節以下の後半がそうです。神に感謝し、神を賛美するということは平穏無事、悦楽至福においてなされるものでなく、悲惨窮境においてなされることをこの詩は教えていると浅野順一氏は語っています。ただし、それはすべてが過ぎ行く儚(はかな)きこの人生、「虫の如き」憐れなる人間が永遠者なる神に連なるものであることを自覚する時においてのみであろう。と浅野氏は語っています。その氏の一部を読みます。25節から27節です。
25主は貧しい人の苦しみを 決して侮らず、さげすまれません。
御顔を隠すことなく 助けを求める叫びを聞いてくださいます。
26それゆえ、わたしは大いなる集会で あなたに賛美をささげ
神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
27貧しい人は食べて満ち足り 主を尋ね求める人は主を賛美します。
いつまでも健やかな命が与えられますように。
重い皮膚病を患っている10人の人を、主イエスは癒されました。ただ一人感謝したサマリヤ人は、自分が神から与えられた救いを信じて受け入れたのです。いやされたのは主イエスです。しかし、いやしと救いは必ずしも結びつかないのです。いやされたら主に帰る。そして、神をあがめること、感謝すること、これこそ信仰生活ということです。私たちの信仰生活は、イエス・キリストの御業に対する感謝以外のなにものでもないのです。私たちは困った時、苦しい時には祈り、一生懸命です。しかし、良くなると、すぐ神を忘れてしまいます。神から出て、神に帰る。これがすべてです。信仰は、このように、神中心でなくてはなりません。苦しい時にも、調子の良い時にも、イエス・キリストを中心として、神をほめたたえなくてはなりません。耐えがたい事柄にもキリストの恵みが最初にあり、最後にある。それを私たちは信じることができます。