イエス、ガリラヤで弟子に現れる
今朝の新約聖書の御言葉は、ヨハネによる福音書の最後になります。そこには復活された主イエスが7人の弟子たちと共に、故郷であるガリラヤのティベリアス湖畔、よく知られた言葉で言えばガリラヤ湖畔で、大漁の奇跡のわざを行い、朝の食事をされたことが記されています。ヨハネによる福音書そのものは20章で終わっており、聖書学者は、21章は後代の編集者が付け加えたと考えています。編集者はなぜ20章の次に、この21章を付け加えたのでしょうか。それは主イエスの死と復活で、すべてが終わったのではなく、復活の主イエスの委託により、宣教の使命が弟子たちに継承され、新しい出発点に立ったことを示すために書き加えられたと思われるのです。そして、もう一つの理由は、初代教会の指導者ペトロの教えを受けつぐ教会とヨハネの教えを受けつぐ教会の確執と、その後の合流と合体という歴史的背景が、そこにはあると言われているのです。
教会の二つの流れ
初代の教会は、その中心的な指導者は、弟子の筆頭だったペトロでした。ペトロのもとに主イエスを信じる者たちが集まり、教会が形成されていったのです。ペトロ自身は紀元64年頃に、皇帝ネロの迫害によってローマで殉教しましたが、その後もペトロの信仰を受け継ぐ教会が育っていきました。マルコ、マタイ、ルカの福音書はペトロの信仰を受けついでいるのです。しかしこのペトロの教えを受け継ぐ群れとは別に、ヨハネを指導者とし、その教えを受け継いでいる教会もありました。そのヨハネの教えを受けた教会は、ペトロの教えを受けた教会とは違った仕方で、主イエスの教えや御業を語っていったのです。その群れにおいてまとめられていったのがヨハネによる福音書でした。従ってこの福音書には、他の三つの福音書とはかなり違う記述があります。しかし様々な違いはあっても、神の独り子である主イエス・キリストが私たちの罪を背負って十字架にかかって死んで下さったことによって罪の赦しを実現し、復活によって私たちにも復活と永遠の命の希望を与えて下さった、という主イエスによる救いの根本は同じです。その主イエスによる根本的には同じ救いの福音を、それぞれが別の角度から見つめ、描いていることによる違いとして受け止めるべきものです。
さてヨハネの教えを受けた教会とペトロの教えを受けた教会は、それぞれ異なった特色を持ちつつ、ある意味では対抗しながら歩んでいましたが、しかし後に、ヨハネの教えを受け継ぐ教会に、紀元2世紀になって、当時流行していた間違った教えが入り込んできて、教会が弱体化してしまい、結局、ペトロの教えを受け継ぐ教会と合流し、合体していったものと思われます。二つの流れを持つ教会が一つとなっていったのです。ヨハネ福音書に21章が付け加えられたのは、この合流が起ったことを受けてではないかと考えられているのです。ペトロの信仰を受け継ぐ人々と、ヨハネの信仰を受け継ぐ人々が、それぞれの特色を持ちつつ、キリストの教会として今や一つとなって歩んでいる、そのことがこの21章が付け加えられたことの背景にあるのです。そのことをはっきりと示しているのが、11節の言葉です。「シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった」という言葉です。取れた魚が153匹だったという数が語られていますが、なぜ、こんな具体的な数なのでしょう。数えたわけでもないでしょうし、ヨハネによる黙示録のような黙示的な秘密のある数字なのでしょうか。実はそうなのです。この153というのは象徴的な意味のある数であると指摘されています。1から17までの数を順に足していくと153になります。また1の3乗(1×1×1)は1、5の3乗(5×5×5)は125、3の3乗(3×3×3)は27、それを足すと153となります。つまり153は、非常に調和の取れた、秩序ある、安定した数なのです。そこに、合流し合体した教会の一致、調和、安定が象徴されていると言われているのです。そしてまた、ここには「それほど多くとれたのに、網は破れていなかった」という言葉もあります。「網が破れていない」、そこにも、教会が分裂せず一致していることが象徴されているのです。つまりこの153匹の魚が入った網は、ペトロの信仰を受け継ぐ教会にヨハネの信仰を受け継ぐ教会が合流して一つのキリストの教会として一致し、分裂することなく歩んでいる姿を象徴的に現していると言われているのです。主イエス・キリストが頭である一つなる教会が、神の救いの恵みを様々な角度から証ししている、その証しの豊かさがそこにあるのです。付け加えられた21章はそのことを語っています。つまりこの21章は、ヨハネによる福音書が、マルコによる福音書他のペトロの教えを引き継ぐ三つの共感福音書との一致がそこに示されている、なくてはならないものであり、21章が加えられることによってヨハネによる福音書は完成したのです。
弱さをご存知の主イエス
ところで、弟子たちはエルサレムで、復活の主イエスに出会っています。弟子たちが主イエスに命じられた通りに、なぜ、エルサレムから伝道のわざにすぐに突き進むことがなかったのだろうか。それどころか失意のままに故郷のガリラヤに帰ってしまったのはなぜか。そういう疑問が生じます。しかし、その疑問は、マルコ福音書やマタイ福音書が伝えるように、復活の朝、イエスの墓でマグダラのマリアたち婦人たちに語った天使らしき若者の言葉、「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」。その言葉に従ったからだということで納得できます。そして、弟子たちは、このガリラヤに来ました。それにもかかわらず、主イエスの到着が予定よりも遅くなると、不安になり、自分たちが出会った主イエスは幻ではなかったのかと思い始めます。人間の弱さがそうさせます。復活の主イエスに出会って感激する。しかし、感激はすぐにさめ、やがて、不信に囚われてしまう。私たちの生活もそうです。神が私たちを養って下さると信じていても、実際に困難に出遭う、仕事を失ってみると、「これからどのように暮らしを立てれば良いのか」と悩み始めます。「主は本当に私たちを養ってくれるのか」、信仰者の中にも疑う人も出てくるでしょう。主イエスの弟子たちもそうでした。漁師であった弟子たちは生活のために漁に出たのでしょう。主イエスが復活されたことがまだ弟子たちの生存を変えるまでの出来事になっていなかったのです。だから、弟子たちの生存を変えるために主イエスが再び来られたのです。
日常生活に戻った弟子たち
21章は、エルサレムで弟子たちの前に現れた復活の主イエスが、三度目にガリラヤにおいて弟子たちに現れたと書き始めます。「その後、イエスはティベリアス湖畔で、弟子たちに御自身を現わされた。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それにほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、『私は漁に行く』と言うと、彼らは、『私たちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」(1~3節)。エルサレムで主イエスから宣教命令を受けたはずのペトロたちが、今は故郷ガリラヤに帰り、漁師に戻っています。主イエスが何度もご自身を現わされたのに。まだ弟子たちは、復活の主を伝える宣教に出かけることをしないで、また元のガリラヤの漁師の生活にもどりました。信仰の驚くべき体験をしても、また元の日常生活に戻ってしまうことは私たちも經驗するところです。弟子たちは、元の生活に戻りましたが、しかし、そこにはどこか心の片隅にうつろなところがあります。一度この信仰のすばらしい体験をした人は、そこに必ず奥底に主の呼び声を聞かざるを得ないのです。
私は漁にいく
ペトロたちは漁に出ました。漁に最適な時間は夜中です。彼らは舟を出し、夜通し、網を打ちましたが、何の収穫もありませんでした。心も体も疲れ果てて、彼らは岸に向かって戻りかけています。その時、一人の人が岸に立ち、「子たちよ、何か食べるものはあるか」と彼らに呼びかけました。「漁の収穫はあったか」と聞かれたのです。朝早く、漁から帰る舟の魚を買うために仲買人が岸辺に来る。弟子たちはその人が仲買人と思い、答えます「ありません」。あたりは暗く、その人の顔は見えません。その人は弟子たちに言います「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」(6節)。弟子たちはだめで元々と思い、網を打ったところ、網を引き上げることの出来ないほどのたくさんの魚が取れたのです。弟子たちは、初めは、岸に立ち、声をかけた人が主イエスだと分からなかったようです。しかし「イエスの愛した弟子」つまりヨハネは気づきました。「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、『主だ』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟に戻って来た」(7~8節)。ペトロの後ろから、多くの魚を積んで重くなった舟が続きます。岸に着くと、彼らは網を下ろし、主イエスと共にパンと魚で食事をとりました。
主の晩餐の魚
ヨハネは記します「陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。主イエスが、『今とった魚を何匹か持って来なさい』と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多く取れたのに、網は破れていなかった」(9~11節)。弟子たちにとって、この日の会食は忘れられないものになったでしょう。後に教会は自分たちのシンボルとして「魚」を選びます。ギリシア語で「イエス・キリスト、神の子、救い主」の頭文字を並べると、魚(イクスース)という言葉になります。「魚」はイエス・キリストを表わすと共に、主イエスが与えて下さった食事のシンボルでもありました。復活された主イエスと共にパンと魚を分け合って食べた、「主の晩餐」を主と共にいただいた。それを記念して魚を自分たちの共同体のしるしにしたのです。
植村正久牧師の信仰
東京の飯田橋駅前にある富士見町教会の創立時の牧師で、明治の初め、旧日本基督教会の指導者であった植村正久牧師はこのヨハネによる福音書21章のこの物語を愛して説教で説いてやまなかったと言われます。この牧師の信仰の根本をなすものは、甦りの主イエスと、その主イエスの十字架における贖いということに尽きたと言えます。ところで、元鎌倉雪ノ下教会牧師、加藤常昭牧師は、この聖書箇所についての植村正久牧師のこの説教について自身の説教集の中でおおよそ次のように語っています。
主イエスの弟子たちは失意のままに故郷のガリラヤに帰ってしまったのはなぜか。植村牧師は、これに対して、弟子たちはただ戻ったというわけではなさそうだと言われ、こう言います。
弟子たちは、主イエスにお目にかかってはいるが、どうもこれから自分たちが何をしていいのかまだよく分からない。落ち着かない。心苦しい。そう思っているときに漁にでも行こうか、というのは、われわれもよく知っているところだ、と言うのです。実は私もよく経験するのです。疲れて説教がまとまらない。そういう時は一時的でも関係ないこと好きなことをする。庭の仕事をしたり、好きな本を読んだり、テレビを見たり、一番多いのは寝てしまうことですが。そういうことは、よくあるだろうというのです。その説教の終わりの方には、こういうことを言っています。文語調ですが。「我らは皆疲れおり。骨折り甲斐なき生活をかこちつつあり。朝早く食を備えて、疲れ果てたる弟子たちを待たれるイエスを思うは如何にも深き慰めにあらずや」。説教の終わり頃で、またこういうことを言われる。もう疲れ果てている。なかなか思うようにいかない。途方に暮れているその我々を、我々自身が知らぬうちに、主イエスがもう既に岸に立って、食べ物まで用意して待っていてくださる。このことを思い起こすことはまことに深い慰めである。この頃50歳台の植村牧師は、大きな富士見町教会の牧師であり、しかも東奔西走、ひたすら伝道のために生きていた方でありました。ですから、結局は心臓発作で倒れました。疲れ果てているというのは、切実な言葉ではなかったかと思います。しかし、それでもなお伝道にいそしむことが出来たのはなぜか。お甦りの主イエスが、私をもてなしてくださるからだと言われるのです。
主を仰ぎ見る人は光輝き
今朝私たちに与えられた旧訳聖書の御言葉は、詩編34編2節から15節までです。この詩篇は「どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う」という言葉で始まっています。絶えることなく賛美を歌うというようなことは、口にすることはたやすくても、実際に実行することは決して容易なことでありません。しかし、この詩編の作者には、苦しいときも主を賛美することによって、主の恵みに触れ、深い喜びを味わうという体験がありました。彼は自らそのような体験をしたからこそ、貧しさの中で苦しんでいる人に向かって、3節、4節の言葉「わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。」と呼び掛けることが出来たのです。多くの人は、貧しさや苦しみをたびたび経験すると、大抵の場合、その貧しさと苦しみに負けてしまい、主に恨みごとを言ったり、人生をすねてしまって、主を讃えることも、賛美の歌を歌うことも止めてしまいます。しかし、そうした貧しさや苦しみを味わう中で、私たちにとって一番必要なことは、主に恨みごとを並べ立てることではなく、「主をたたえ、賛美を歌う」ことであるとこの詩編の作者は言っているのです。実際、彼は貧しさと苦しみの中で、主を求め、主にその苦難の中から助け出される体験をしたのです。その体験を5節で次のように語っています。
わたしは主に求め/主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。
この詩編の作者は、苦難の中で、「主をたたえ 賛美を歌うこと」によって、主の恵み深さを味わうことが出来たのです。
それ故、この詩編の作者は、9節で、自分の経験した「主の恵み深さを」「味わい、見よ」(9節)と勧めることができるのです。主に身を寄せて、主を畏れて生きる者には、欠けたものがなく、幸いと喜びのみがあると、この詩編の作者は語っています。
また6節で
主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。(6節)
と歌い、主を求める人を、主は脅かす敵から常に救い出されるので、その人は、一点の曇りもなく、辱めに顔を伏せる必要もない、喜びと希望が輝く確かな歩みがあると歌っているのです。
だからといって、主に従う人には何の災いもなく、苦しみもないなどといっているのでありません。主を信じる者も、主を信じない人と同じように災いに遭うだけでなく、その災いが度重なることさえあることを作者は知っています。この詩編の作者は、何度となく災いを経験したのです。しかし、その度に主の御名を呼び求め、主を褒め称えつつ、主に委ねて生きてきたのです。そして、彼は、そのたびに、主によって災いから助け出される体験を味わってきたのです。この詩編の作者は、信仰者の人生に貧しさや苦しみがなくなるとは語りません。むしろ、悩みも、苦難も、時に連続して襲い来ることさえあると語っています。それは、主に信頼する正しい者の生涯につきものであるとさえ言っています。しかし神は、ご自分の前に砕かれた心の近くにいまし、悔いる魂を救ってくださるというのです。いま、様々な不幸や貧しさや苦しみに打ちひしがれている魂に向かって、作者は、自らの経験から、これらの言葉を語っているのです。
疲れ果てた弟子たちが、復活の主に励まされ、主が用意した食事にあずかったように、私たちも聖餐にあずかり、復活の主の恵みにあずかります。それぞれの生活と生きることの困難を覚えています。しかし、主に信頼し、御前に砕かれた心をお与えください。キリストの体である教会が一つである喜びを覚えさせてください。教会が一つとなり、世界が一つとなることが出来ますように。誰もが甦りの主の祝福を受けることに例外はないことを覚えさせてください。