2024年8月

【エフェソの信徒への手紙1章14節】この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

 私の義父であり私に洗礼を授けた芳賀眞俊牧師が亡くなったのは1993年で77歳でした。ちょうど私もその歳になりました。眞俊牧師が亡くなり豊橋東田教会の牧師室の後片付けをしながら、著作原稿などを整理していた時に、これを纏めて一冊の本にしようと思い付きました。それが『ただ神にのみ栄光を』(1995年5月発行)でした。初めての本づくりでしたが、その後の私の自己流本づくりのきっかけになったものです。私が選んだ5つの説教の内の2つが、エフェソの信徒への手紙1章1~14節の箇所です。「Soli Deo Gloria(神にのみ栄光)」が座右の銘であった眞俊牧師ですが、江戸っ子で人情深い人柄から多くの牧師・長老に人脈がありました。「芳賀眞俊牧師を憶えて」のコーナーに27名の方々に思い出を書いてもらいましたが、皆喜んで書いてくださったのは感激でした。原稿依頼した27名をあらためて調べてみたら、牧師19名、信徒8名(長老6名、その他2名)でした。既に17名が天に召されましたが、私を含めて10名の牧師・長老はまだ活躍しています。さまざまなしがらみ、健康問題を抱えながらも、神にのみ栄光をめざして福音の宣教に尽くしている姿を見るのは嬉しいものです。説教の1節を記します。「人間の愚鈍を嘆いていても何の解決にもなりません。主イエスの十字架をしっかりとみつめ『主イエスの十字架、我がためなり』と、キリストの恩寵に感謝と讃美を新たにするとき初めて、神の尊き慈しみもわかり、聖書も分かります。そのとき、おのれの卑小がわかり、人は神の前に謙遜になります。十字架の愛は、愛の深さを知るとき、主をたたえる讃美あふれる人生に勇気と希望がわいてきます。」

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