【詩編6編3―4節】主よ、憐れんでください/わたしは嘆き悲しんでいます。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう。
ある方から『老いをどう生きるか』(渡辺正男著・教団出版局)という本をいただいた。病には4つの痛みがあると、淀川キリスト教病院の終末期医療に携わった柏木哲夫氏の言葉を紹介しておられます。「人は重い病になると、体や心が痛むだけでなく、社会的に、そして霊的にも痛む」と。歯の治療は昔と違って随分快適になっているが、それでもキーンと治療器具の音が聞こえるだけで体が固まります。これも体の痛みです。先週、全国連合長老会の会議で石川県の金沢教会へ行ってきました。大磯教会の新規加盟を歓迎され、挨拶で大磯教会をアッピールしてきました。楽しい2日間で、親しい牧師たちと親交を深めてきました。その中で、ある牧師が週3回人工透析をしているので、泊りの旅行の時は、まず行く先で透析を受けられる病院を予約するのだ、と言っていた。病の現実の大変さを知りました。これも社会的な痛みになるのでしょう。病に対する偏見なども社会的な痛みになります。さて、霊的な痛みとは何か。本の中で、霊的痛みの要素として「人生の意味への問い、苦しみの意味、罪の意識、死後の世界等に関する悩み」を挙げています。そして「骨が恐れる」とは「骨がガタガタと震える」という意味らしい。病になると心も弱くなる。作者は、残された道として、ただ一つ、神に向かって祈り続け、叫び続けるのです。