聖 書:イザヤ書1章11~20節(旧約061頁)
ヨハネによる福音書13章21~30節(新約195頁)
交 読:詩編147編(交読詩編164頁)
讃美歌:7,32,52,448,77,26
【説教の参考に】
主イエスは、「心を騒がせ、断言された」と記されています。なぜユダが裏切るようなことを主イエスはお許しになったのだろうか。「ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った」と記されています。どうして主イエスはそれを阻止なさらないのだろう。という疑問が湧いてきます。しかし、放蕩息子の父親は、息子が遠い国に行くのをとめませんでした。むしろ神は自由のうちにすべてが行われることを望まれるのです。そうでなければ、人間は、強制されて良いことをすることになります。強制されてするならば、それは良いことをすることにはならないのです。神は、一人一人に自由な人格として対しておられるのです。ユダの対極にある人物として、ヨハネ福音書は「イエスの愛しておられた者」を登場させています。これは誰のことを言っているのかについては、聖書学者の間で長年、議論されていて決着を見ていないようですが、ユダを代表する「闇につける勢力」と、「イエスの愛しておられた者」に代表される「光につける勢力」の対立の構図がここにはあります。サタンとは世俗主義、神に敵対する者と考えると、現代に生きる私たちにも無縁のことではありません。しかし、ユダの罪を背負われたのは主イエスなのです。