2024年4月

【イザヤ書53章5節】彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

近藤勝彦著『伝道する教会の形成』に、主イエスの十字架の癒しについて良き解説があったので引用します。イザヤ書53章5節に「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」と記されています。主イエスが十字架において私たちの罪を負われ、私たちの死を負われた。そうすることによって、私たちを癒してくださったのです。主の十字架においてただ苦痛だけが負われたのではありません。私たちの死もまた負われています。癒されたけれども人間は結局は死ぬというのではなく、生にあっても死にあっても癒されるのです。それは、「生きるにしろ、死ぬにしろ、主のものである」ということがあるということです。「キリストに結び合わされている」。ここに福音があります。・・・罪赦され、神からの和解にいれられ、神の子とされる。これこそあらゆる癒しの根本です。・・・「病んでいる」にもかかわらず「癒され」ています。今この地上の生活では、完璧な癒しを求めなくていいのです。私たちは「どんなに病んでいる中でも」「主のものとされている」ではありませんか。そのことで、すでに「癒されている」ではありませんか。少なくとも魂の深みにおいて癒されているのです。・・・それが言葉のごまかしでも、観念的なことでもない証拠に、癒された者のしるしがあります。その一つは、愛することができる人生になっていることです。主を愛し、他者を愛するものとされています。そして何よりもすでに喜んでいます。喜びを知っているのは、癒されて、健やかにされているしるしです。そして神を賛美しています。

TOP