2024年5月

【ルカによる福音書5章26節】人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。

中風を患っている人を、屋根に上って主イエスの前に置いた男たちと、中風の人の信仰を見て、主イエスが「人よ、あなたの罪は赦された」と言って癒された話を先週の説教でしました。その最後の26節にルカはこの言葉を記しています。ここに「恐れに打たれて」とありますが、聖書協会共同訳では「恐れに満たされて」と訳されています。そもそも日本語では「恐れ」「怖れ」「畏れ」と使い分けて使い、この場合は恐怖心を抱いたり、不安、怖がる意味の、「恐れ」や「怖れ」ではなく、主を畏れるという意味の言葉であろうと思います。つまり聖書に書かれている「恐れ」は二種類の意味で使われています。一つ目は主への恐れです。何かを怖がるというものではなく、主の力と栄光に対する畏敬の念を表すものです。それは、安らぎと平安と満足をもたらすのです。二つ目の恐れは全く益になりません。テモテへの手紙二1章7節に書かれている「おくびょうの霊」はこの二つ目の恐れです。「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」と書いてあるように、これらは神から来るものではありません。しかし、私たちも恐れるときがあります。この「おくびょうの霊」に打ち負かされるときもありますが、それに負けないためには神を心から信頼して愛する必要があります。愛には恐れがありません。もちろん完璧な人はいないし、神もそれをご存知ですから、おくびょうさに負けないための励ましの言葉を聖書のいたる所に置いてくださったのです。創世記から黙示録にいたるまで神は「恐れるな」と言っているのです。

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