哀歌3章22―33節、ヨハネによる福音書17章1-8節
【説教の参考に】
主イエスは、「天を仰いで言われた」。それまで弟子たちに向けていたまなざしを、天に向け祈られたのです。古い時代から「大祭司イエスの祈り」と呼ばれている箇所です。主イエスは、「時が来ました」と呼びかけます。この「時」は、イエス・キリストの十字架の時です。主イエスは「あなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができる」と言われました。永遠の命に生きるとは何か。主イエスは「唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ること」こそ永遠の命に他ならないと言われたのです。ほかに何も語られておりません。まことの神とイエス・キリストを切り離すことは出来ません。主イエス以外にまことの神を見つけようとするところに、大きな過ちが起きます。人間の傲慢、差別、迫害が起きて来るのです。それは過去の歴史の悲劇が示しているところです。
私たちは、イエス・キリストの大祭司としてのとりなしの祈りに支えられています。私たちは、長い間つきあっても失望しない人に滅多に会うことがありません。いや全然ないかも知れません。主イエスのとりなし無しには、私たちは、永遠の命どころか、今日にも滅びる、愚かな人間にすぎません。