ゼカリヤ書7章8―14節、ヨハネによる福音書15章18-27節
【説教の参考に】
この箇所には、何故キリスト者は世から憎まれるのか、ということが記されています。主イエスの弟子たちも、また初期のキリスト者も、同胞のユダヤ人やローマから憎まれていたのです。迫害の中にありました。「わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのだ」というのです。
日常生活を円滑に進めるために、世間と同じように考えたり、行っていれば、誰からも批判を受けないのです。キリスト者はイエス・キリストによってこの世から選び出されているのです。この箇所は、神の愛、神の意志ということとは違い、憎しみの問題が語られています。主イエスはここで、憎しみというものは、信仰と異質なものではなく、愛に当然伴うものであると言われるのです。第一に、主イエスご自身が、憎まれたのです。第二に、憎まれるのは、わたしたちがこの世からでない証拠だと言われるのです。ですから、憎まれる時、それは十字架の主の証しをする好機であるとも言えるのです。この世は、私たちが自分たちと異質であるから憎むのですが、心の中では尊敬しています。明治の初め、キリスト者は憎まれました。日本の封建社会とあまりにも異質だったからです。しかし、尊敬をも受けて、地の塩となれたのです。