【フィリピの信徒への手紙4章6節】どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
祈りは目に見えない神との対話であり、信仰者にとっての日々の呼吸のようなものだといわれます。しかし、実際にはなかなか祈れないのも事実です。個人の祈りは、毎日の生活の中で朝起きた時や、夜の就寝時などに、少しの時間でも静かに祈る時をもてたら最高です。また公同の祈りのためには、教会の祈祷会などに出席できたら祈りの訓練のためにも有効です。そのほか、喜びのとき、感謝のとき、悲しみのとき、苦しみのときに、そのつど、自由に祈る祈りも大切な神との交わりです。ある親しい教会の週報に祈りの課題が載っていました。毎週載っている祈りの課題の最初に、「礼拝が聖霊に満たされ、10人以上の礼拝者が与えられるように。」とありました。私たちの教会も礼拝出席の平均が20名ちょっと位ですが、20名を切ると少しへこみます。多くの教会で、コロナ禍後、礼拝出席者の減少に悩んでいます。日本の教会の現状を見ると教派を問わず共通の問題です。しかし、思い煩うのはやめ、主イエスを愛し、主イエスに愛される友が増えることを祈りましょう。フィリピ教会へのこの手紙は「喜びの手紙」と呼ばれています。パウロはこの時、獄中から書いているのです。誕生したばかりのフィリピ教会には多くの苦難があったでしょう。それでもパウロは喜びについて語ることがふさわしいと考えました。私たちは監禁されはしませんでしたが、コロナ禍で3年以上行動の自由を制限されました。困難な中でも御言葉を聴き、主なる神を賛美できたことを感謝し、今を喜んでいます。ガザの人々や、ウクライナの人々が心からの喜びが早く持てるようにと祈りましょう。