2024年2月

【ルカによる福音書6章35節】しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。

戦国時代の武将は旗印や兜に特徴的な文字を使って存在を示しています。上杉謙信は毘沙門天を信仰していたので旗印に「毘」の文字を使っていましたし、家臣の直江兼続は秀吉や家康とも対等に接した度胸の据わった武将であった。この兼続の兜には印象的な「愛」の文字を前立てにしていました。しかし、この「愛」の意味は、兼続が信仰していた、密教的な極楽浄土を意味する「愛染明王」や京都の愛宕山の山岳信仰である「愛宕権現」を信じていたので、その「愛」を兜の前立てに使っていたと言われます。そして、私たちの主イエスの旗印もまた「愛」です。「汝の敵を愛せよ」という主イエスの命令こそ何よりも特徴的に神の愛を表わしています。日本語も英語も愛(love)の一言ですが、新約聖書が書かれたギリシャ語では「愛」について4つの言葉を使い分けています。両性間の愛についてのエロース、家族の愛を表わすストルゲー、あたたかい愛情を表わすフィリア、そして神が人々に対して持つような愛、つまりキリスト教の愛はアガペーです。それは神が悪い者の上にも良い者の上にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らせる愛です。パレスチナにおいては災害をもたらす雨ではなく祝福された恵みの雨を意味します。キリスト教の愛は、誰をも憎むことを決して許さない愛です。また、それは愛らしくない、愛し得ない者をさえ愛する愛です。したがって、この敵を愛する愛は、我々に何の努力もなく自然にくるものではなく、意識的な努力を必要とするのです。

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