【ガラテヤの信徒への手紙3章26~27節】あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
今年は秋が短く寒い冬がすぐに来た気がします。薄着でいると寒くて落ち着かなかった体が、毛糸のセーターを来て上着を羽織ると体と心が暖かくなるように感じます。パウロはガラテヤの信徒に、洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。と言っています。洗礼を受けてキリストに結ばれるということは、律法の支配から抜け、キリストの体に入るということ。つまりキリストの支配下に入ることです。コリントの信徒への手紙(一)12章13節に、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです、とあります。洗礼を受けるということは個人的なことではないのです。キリストの体、教会の一員になることなのです。洗礼を受けて、キリストの体の一部分になったものは、キリストを着るのだと言われています。そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。一切の社会的身分の違いは教会では問題にはならないのです。キリスト者は、教会の中でキリストを着ています。キリストがなさっているように、相手のため、隣人のために生きる必要があるのです。神が、そしてキリストが望んでおいでになるのは、みんなが隣人を自分のように愛する世界なのです。そんな世界を自分が生きたいと思うかどうかが問われているのです。