2026年1月

【フィリピの信徒への手紙1章29節】あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。

今、寒波の中にあって、豪雪地帯や北海道の冬の吹雪のニュースを見ると大変だなと思います。山形県の教会に親しい牧師がいるが、礼拝前の大仕事が教会前の雪かきだと言っていました。また、人生を歩む中で、さまざまな苦しみがやって来ます。特にキリスト者なるがゆえに、余計に苦しまなければならないこともあります。パウロはなぜ苦しみが恵みであると言っているのでしょか。パウロは伝道の働きを妨げる敵対勢力に悩まされ、今や獄に繋がれるに至りましたが、このような苦しみもまた神の恵みであると言うのです。苦しみもまた恵みであるとは、信仰というものの本来のあり方を教えるものです。もちろん、人は、信仰によって慰めを得たいと思います。平安の内に毎日を過したいとも願います。事実、信仰によって慰めや平安を得ている人も大勢いるでしょう。けれどもキリストを信じる信仰は、慰めや平安を求めて信じる信仰ではないことは、わたしたちのよく知るところです。慰めや平安は、信じた結果として与えられる恵みです。十字架は、神の子が苦しみ、私たち人類の罪のために死なれたことです。この十字架にこそ、救いと恵みがひそんでいる、それがまさにパウロの伝えた福音です。「苦難というものが聖書の最良の注解である」という言葉があります。苦しい体験を経て、初めて聖書の言葉が本当に慰めと力として響いてくるのです。信仰に生きる者は、したたかに生きることができることのモデルをパウロは示しています。

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