【詩編32編2~3節】わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。
今年の夏は本当に暑く、さすがにエアコン無しでは過ごせませんでした。まさに夏の日照りにあって衰え果てました。この詩編は、古代の教父アウグスティヌスが特に愛した詩といわれます。ここで「骨まで朽ち果てる」という表現がなされています。それは神の御手が昼も夜も重くのしかかっていたからだというのです。詩人は、自分の罪を神の目から隠そうとしましたが、主なる神の前にすべてを言い表すに至って、ようやくその重い苦しみが取り除かれたのです。キリスト者にも,色々なことが起こります。あまりにも悲しい出来事に見舞われて、神に祈ることがでず、「一日中うめいて、骨々が疲れ果てる」という思いになることもあるのです。ある説教の中でこういう話がありました。ある方が病のために無気力になって、誰とも話したくなかったそうですが、友人の中で白血病になった友人とだけは話したそうです。その友人は、その人にこの詩編の言葉を朗読したのだそうです。病で無気力になっていた人は、この言葉に慰められたと言っています。誰にも自分の心のうちを打ち明けることができない。ただ、一日うめいているしかできないような時がある。まるで、神の罰でも受けているかのように、神の御手が重くのしかかっているように思える。そういう言葉にできない苦しみがある。そして、それを神は知っていてくださるのだ。祈りが神にどのように聞き届けられているのか、立ち止まって考えてみよう。