2024年10月

【コロサイの信徒への手紙3章13節】互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

 パウロはコロサイ教会の信徒に「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」と語っています。「責めるべきこと」とは不平や不満です。不平や不満を持ったことがないという人間はいないでしょう。教会は天国のように愛と理想の群れではありません。それぞれが自分の正統性を主張するものです。むしろ、教会が乱れるとこの世のどんな群れよりも混乱するとも言われます。世界ではキリスト教国どうしが戦争したり、同じ神を信じるユダヤ教国とイスラム教国の間で紛争が絶えず、憎しみが憎しみを生んでいます。そして教会の長い歴史には、混乱し、人に言えないような痛み悲しみがあるものです。だから教会といえども、聖書の言葉に聞き、裁かれ打ち砕かれねばならない人間の群れであることを、キリスト者は心得ておくべきです。一般に人間は、不平や不満の噴出、そして言い争い、あるいはもっと深刻に。どうにもならない憎しみに陥った状態になってしまうことがあります。パウロはコロサイ教会の教会員に、「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。」と言う。交わりを失っている相手と、忍び耐える形で共存することの大切さを語るのです。「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい」と。「主の赦し」に一切を任せるのです。どんなに暗く望みを失わせる事態に溢れようと、教会は十字架の言葉に立ち続けるのです。

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