2025年10月

マタイによる福音書7章13~14節】「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

 三浦綾子の小説『千利休とその妻たち』の中に、茶道の茶室にあるにじり口を創案した話が出てくる。千利休の妻、おりきがキリシタンの聖堂に行って、説教の話を利休に聞かせるくだりがある。「天国に人が入るためには、狭い門より入らねばならぬと伺いました。狭い門から入るためには、すべての持物を捨てねばなりません。身分という持物も、財産という持物も、傲慢という持物も、美形や学問という持物など、持っては入れぬ狭い門をくぐらねば、天国に入れぬと承りました。それらの荷は、天国では何の役にも立ちませぬ。いいえ、そればかりか、かえって邪魔になる荷物だそうでござります」。この言葉を聞いた利休は、ふっと何一つ持たぬ人間が頭を低くして門をくぐる様を胸に描いて、現代の茶室にあるにじり口を創案したというのです。クリスチャンは狭い門から入り、細い道を歩き続ける者かもしれない。団塊の世代と言われた人たちも後期高齢の仲間に入りました。かつて狭き門の受験を勝ち抜き、高度成長社会の恩恵を受けた者が、今勝利者とも言えない。クリスチャンは、ただキリストに従い教会で日曜ごとに礼拝を捧げ、聖書の御言葉を聴き、讃美の歌を歌い、祈る。そのことをただひたすらに続ける人々です。

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