【詩編19編4~5節】話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても/その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。
カウンセリングにおいて、最も重要でしかも難しいことは、人の話をよく聴くということだと言われる。それを「傾聴」という言葉で言い表わしている。精神分析学者のテオドール・レイクは、『第三の耳で聴く』(Listening with the Third ear)と言う本を書いて、私たちが日常の対話で相手の話を左右二つの耳で聞いているような聞き方でなく、「第三の耳」とでも言うべきもので聴くことが心理療法には必要だという。この聴き方は、たとえば相手の言葉を聞くだけでなく、その言葉の背後にある思い、秘められた感情や欲求等をも聴き取る。声の調子によって、あるいはボディ・ランゲージと呼ばれる顔の表情、体の姿勢や動作など、さらには相手の沈黙の言葉をも聴き取ろうとする。いわゆる「文章の行間を読む」に対する「言葉の行間を聴く」とでも言うような聴き方を言うのだと言う。ところで、牧師は語ることは訓練もうけるが、聴き方にはあまり関心を払わないことがある。私にもその傾向がある。しかし、信徒との関係においては、「聴き上手で話し下手」の方がうまくいくのである。自然における神の啓示の声なき声を、聴きとることも理解することもできないものは何一つとしてありません。神はことばを用いて、沈黙せる自然に、神の力と知恵について語らせているのです。人間の体においても、意識がなく言葉を理解できなくても、神に似せて人間を造られた神は、その愛を伝える言葉を持っていると信じたい。