2018年10月

【ヨブ記19章25節】
わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。

 毎週火曜日の聖書研究祈祷会では、今、ヨブ記を読んでいる。ヨブが苦しみの中で主の真実さを追究しているが、物語のほぼ中間で、ヨブの信仰と思考の頂点とも言うべき、贖い主への確信が語られている。ヨブの三人の友人たちの因果応報の思想からの厳しい追求のおかげもあって、ヨブは、苦しみの中から仲裁者を希求し、天におられる証人についての確信へと深まったが、とうとう贖い主への確信が生まれてきた。贖い主が、どのような方であるかについては、これから聖書研究の中で、皆さんとまた学び続けたいと思っている。ヨブ記からは、繰り返される友人たちとの討論と、ヨブの答えと神への訴えを学ぶ中で、罪の諸相、信仰の常識が破られる思い、そして、心の奥を探り出すような発見をします。

 神なる方である贖い主が「生きておられる」とヨブは言っている。聖書の中で、この言葉が神また主に関して用いられているが、このような場合、神が死ぬことのない方であり、また、いのちの源である方であることを示している。

 「塵の上に立たれる」という言葉は、重大な問題をはらんでいる。「塵」は地上の塵で、「地」のことか。「黄泉の塵」であるか。毎回、次の展開が興味を誘います。

 

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