【ヘブライ人への手紙11章1-2節】
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
信仰とは素晴らしい挑戦であり、決断であり、生涯をかけての壮大な冒険であることをヘブライ書は伝えています。信仰の生涯に生きたアブラハムは、神から突然召されて、ハランの地から行き先も知らずに出発したとき75歳であった。彼は沢山の財産を持って悠々自適の暮らしが出来たであろうが、神の言葉に従ったのです。神の言葉は気をつけていないと聞くことが出来ません。聞いても、それを自分に受け入れないことも多いのです。アブラハムは行き先も知らずに神の言葉を聞きカナンの地を目指しました。しかし、彼はさまざまな失敗や罪を重ね、決してお手本に出来る人ではなかったが、その中で神の約束にしがみついていったのです。何もしなければ失敗もしないでしょう。私たちも失敗を恐れる必要はありません。失敗なく従うことより、ただ神に信頼して従うことが大切なのです。キリスト者にとっての十字架とは、逃げることが出来るのに、しかもそれを背負って行くものです。自分に与えられた小さな十字架でも、逃げずに背負って行けば主の祝福に預かるのです。