【マタイによる福音書15章27節】
女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
聖書の中にはユーモアやウィットを感じる箇所があります。ユーモアは、緊張している状況をリラックスさせる笑いを含む表現ですが、ヒューマン(人間)が変化してユーモアになったと言われるように、人間的な滑稽さやおかしさの意味が込められています。中風の人を、屋根をはがして床をつり降ろした男たちの真剣さの中にユーモアを感じるし、主イエスが荒れ野で悪魔から誘惑を受けた時、「ひとはパンだけで生きているわけではない」と言ってユーモアの力で跳ね返しています。一方、ウィットは、笑いの中に「なるほど」と人を感心させるその人の知恵が含まれている表現です。このマタイ15章では、フェニキアの女性が主イエスに「私の娘を助けてください」とお願いしますが、主イエスは相手にしません。あまりにしつこくお願いするので、主イエスは、女性に「子供たち(イスラエル人)のパン(救い)を取り上げて、子犬(イスラエル以外の人)にあげるのはいけない」と、優先順位の違いをたとえで話されました。それに対し、女性は、怒るのではなく、「主よ、ごもっともです。」と主イエスのおっしゃることを受け入れつつも、切り返すのです。主イエスは、この女性の願いをかなえられます。緊張を強いられる社会の中でユーモアとウィットを持って生きたいものです。