2022年6月

【使徒言行録16章9節】
その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。

 現代人は救いといってもピンとこない。救われることが自分にどうして必要なのか分からない。ウクライナの戦闘地域で目の前で自宅が破壊された人は、命がけで救出してくれる救援隊が安全地まで連れていってくれた隊員に「あなたが私の救い主であり、あなたのおかげでわたしは生きている。そうでなければ、私は死んだでしょう」と言うに違いない。
今年の8月参加する牧師仲間の「教義学セミナー」のテキスト『神学の小径Ⅳ』(芳賀力著)の第1章にこの言葉があった。ふだん通りの生活が緊急事態の発生によって断ち切られ、妨げられる。戦争や災害、事件や事故、失敗や挫折、病や障碍によって、私たちは行き詰まる。そのような人にとって救いとは、端的にこの危急からの救出である。・・福音は渇いた砂にまかれた水のように立ちどころに飢えた魂に染み通るだろう。ところが、困ったことに、現代の多くの人々が、だからと言って自分はそれほど切羽詰まった状況にはいないと思い込んでいるのである。なんとかなると思っている。十字架の救いを知る機会に感謝です。

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