【ローマの信徒への手紙5章11節】それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
今年の6月25日の礼拝は、コロナ禍後、3年振りに講壇交換が行われ、武山教会の牧師が説教されます。当日の聖書箇所はローマの信徒への手紙5章6~11節です。その最後に「わたしたちは神を誇りとしています」というパウロの言葉があります。とかく自分を誇ると言えば悪い意味ですが、ここでパウロが語っているのは、主イエスを「喜び誇る」ということです。私たちは自分のことは自分が一番良く知っている、と言いますが、自分を飾り立ててしまうものです。それがひっくり返った場合には、必要以上に卑屈になってしまうものです。パウロはなぜ「神を誇りとする」という言葉を使ったのか。パウロは、人生半ばにしてキリスト者になりました。キリスト者迫害のために奔走していたパウロにお甦りになった主イエスが突然現われて、パウロの心を捕らえてしまったのです。パウロはキリストの僕ということを誇らしく語っています。新しい誇りに喜び勇んで生きる人間に生まれ変わったのです。私たちもかつての誇りから解き放たれて、主イエス・キリストの恵みの中に立つことができたことを喜び誇りたいと思います。「私たちは何を信じているのか」をローマ書から学びたいと思います。