7/9説教「もう泣かなくともよい」

生命の回復
今朝の礼拝は、教会暦では聖霊降臨日第7主日とあり、そして今日のテーマは「生命の回復」ということであると記されています。そして、その旧約聖書の御言葉としてエレミヤ書38章1節から13節までが挙げられていました。今朝は、まず、エレミヤ書の箇所から御言葉の恵みに与りたいと思います。預言者エレミヤの時代は、今から約2千6百年前、ユダ王国が新バビロニア王国の激しい攻撃に晒された時代でした。
ユダ王国の王であるゼデキヤ王の側近である4名の者、1節に記された舌がもつれそうになる名前がそれですが、彼らは預言者エレミヤが人々に語っている預言を聞きました。その内容は、都エルサレムに留まる者は剣と飢饉と疫病で死ぬが、この町を包囲しているカルデヤ人つまりバビロン軍に投降(降参)すれば、その命は助かるというものでした。それで、この4名の王の側近は、ゼデキヤ王のところへ行き、エレミヤを殺すように求めました。そうでないと、民全体の士気がくじかれると主張したのです。するとゼデキヤ王は、彼らの手に、エレミヤを委ねました。それで4人の側近はエレミヤを捕えて、監視の庭にある古井戸にエレミヤを投げ込みました。幸い、穴の中には水はなく、泥の状態だったので、エレミヤは泥の中に沈みましたが、生き残ることができました。そして、ここで突然登場するのが、王に仕えていたクシュ人と言われるエチオピア人の宦官エベデ・メレクという人です。彼は、ゼデキヤ王のところへ行き、預言者エレミヤを助けるように進言したのです。すると、ゼデキヤ王は、30人を連れて行き、エレミヤを死ぬ前に古井戸から救出するように命じました。そこで、クシュ人エベデ・メレクはエレミヤを救出しました。そして、監視の庭にエレミヤを留めて置かれたというのです。「監視の庭」というのは牢屋のようなものでしょうか。すぐ前の37章21節には、「21ゼデキヤ王は、エレミヤを監視の庭に拘留しておくように命じ、パン屋街から毎日パンを一つ届けさせた。」記されています。
ここまでが今朝の箇所ですが、その後、ゼデキヤ王は、ひそかに、預言者エレミヤから自分の決断に必要な預言を聞きだそうとしました。そこで、エレミヤは、こう語ったのです。バビロンの王に屈服するなら、いのちを得るであろう。また、エルサレムの町も焼き滅ぼされないですむことなどを告げました。しかし、ゼデキヤ王が、主のことばに逆らい、バビロンに最後まで抵抗するなら、ゼデキヤ王も家族もバビロンの手に捕えられて、処刑されることを伝えました。そして、エレミヤ自身は、エルサレムがバビロン軍によって占領されるまで、この監視の庭に留まっていたのです。 
この個所では、エレミヤが預言者としての職務を、主なる神に対して忠実に果たそうとすればするほど、王を始めとして、側近たち、また、政治的、軍事的、宗教的な指導者たちから、憎まれ、迫害され、投獄され、ついには殺されそうになるのです。バビロン軍によって包囲されている時、王や側近たちは、エルサレムは神の都であるから決して滅びることがないという偽りの預言により頼み、徹底抗戦を叫んでいました。そのような状況の中で、預言者エレミヤが、「敵に降伏すれば民のいのちは助かる」と伝えたのですから、王の側近たちは、エレミヤを売国奴、非国民、敵の回し者として殺そうとしたのです。
その後どうなったかは、39節以下に記されていますが、エルサレムはバビロン軍により陥落し、ユダ王国の王ゼデキヤはバビロン王ネブカドネザルのもとにつれて行かれ、ゼデキヤ王の目の前でその王子たちは殺され、ユダの貴族たちも殺され、ゼデキヤ王も両眼をつぶされ、足枷をはめられたのです。戦争は悲惨です。憎しみは憎しみを生みます。あらゆる企みが行われます。
今、ウクライナで行われている戦争、さまざまな出来事、ブチャの悲劇、原発を盾にした脅し、ダムを決壊させて水浸しにして人々を苦しめること。ロシアでの反乱、仲間割れなど、2千6百年前の戦争と同じ事が、更に規模を大きくして行われているのです。
先日、NHKの番組で、有史以来の一定規模の戦い、戦争を目で見えるように可視化し世界地図に表わしていました。何万というデータをコンピュータで入力したのでしょう。その結果は、戦争の数はヨーロッパが圧倒的に多かったのです。そして中東のパレスチナ地域も多いし。アジアでは東アジアの日本と周辺が多かったように思います。ヨーロッパの戦争は、歴史的に、このバビロニアとエジプトの間に挟まれたパレスチナ地域の戦いがヨーロッパの戦争へと続き、今のロシア・ウクライナでの戦争へと何千年も続いているのです。そして、そこには神を信じる宗教が関係しているのです。
しかし、これは日本も例外ではありません。今から80年前の日本の状況に重ね合わせれば、よく理解できるところです。戦前から戦中にかけて、日本の国は「神国」であり、「神風」によって守られるという偽りにより頼み、最後まで徹底抗戦を主張していました。しかし、戦前から戦中にかけて、この戦争に反対した人たちがいました。キリスト教の中の、一部の教団などの教職者たちも、特高警察に逮捕され、投獄されました。中には、留置所や刑務所で獄死した方もおられました。戦中は、投獄された牧師の家族は、非国民として、まわりから白い目で見られ、実際に、投石されたり、さまざまな嫌がらせを受けたと聞きます。またキリシタンの過酷な受難の歴史もあります。確かなことは、主に忠実であることは、世の人から多くの迫害をうけることがある、ということです。また、同じキリスト教の仲間からさえ迫害されることもあるということです。しかし、私たちは弱いですが、主にあることにより強くされます。それが聖書の約束です。信仰の道は文字通り、命がけの道ですが、その私たちの命を心の底から慈しみ、寄り添い、死に勝利されるイエス・キリストの恵みの奇跡の話から御言葉を聞きましょう。

悲嘆に暮れた母
今朝の福音書の箇所は、主イエスがナインという名の町で一度死んだ若者を生き返らせたという奇跡の出来事についてです。ナインの町はガリラヤ地方にありますが、ユダヤ地方との境界線に近い所にありますので、そこでそのような奇跡を行えば、結果として17節に記されているように、主イエスのうわさはユダヤ地方全域にも広がることになりました。ナインでの奇跡の出来事の事の次第を追っていきますと、まず、主イエスが弟子たちや他に付き従う大勢の人たちと一緒に、町の門の近くまで来ました。ちょうどその時、町の中から門を通って外の墓地に向かう葬列が出てきたのです。当時は、死者が葬られる墓地は町の城壁の外にあったのです。亡くなったのは若者で、それは母親にとっては一人息子、さらに、その母親は未亡人であったと記されています。町の人たちが大勢葬列に加わって歩いて行きました。未亡人の一人息子が死んだということであれば、この婦人は最愛の肉親を失ったと同時に自分を養ってくれる人も失ったということになります。この婦人の受けた打撃は相当なものだったでしょう。悲嘆にくれていました。この光景を目にした主イエスは、弔いに向かう婦人に向かって声をかけます。「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた」とあります(13節)。きっと婦人は、歩きながら本当にひどく泣いていたのでしょう。主イエスは葬列に近寄っていき、棺に手を触れます。棺を担ぐ人も、葬列自体も立ち止まりました。そこで誰も思いもよらないことが起こります。「イエスは、『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった」(14-15節)。母親は、一度死んで失った息子を生きて取り戻すことができたのでした。この出来事が示すように、主イエスは「起きなさい」という言葉をかけるだけで、死んだ若者を生き返らせました。主イエスの言葉には死の力を上回る力があるのです。その言葉には、人間を罪の支配力から解放する力がある、ということでもあります。

預言者の再来
今朝の箇所では、主イエスは文字通り、言葉をかけることで死人を生き返らせました。そうすることで、自分の言葉には、人間を死と罪の呪縛から解放する力があることを如実に示しました。ただし、この奇跡を目撃した人々の反応はどうだったかと言うと、16節に記されているように、主イエスを神の子ではなく、預言者の再来と考えたようです。預言者エリヤのことを人々は思い描いたのでしょう。エリヤは死んだやもめの息子を復活させたと言われているのです(列王記上17章)。主イエスの奇跡の業を目撃したナインの人たちが、この方は旧約の預言者の再来だと思ったのは無理もありません。死者を生き返らせる奇跡を見ても、主イエスが神の子で、全世界の全人類を罪と死の支配力から解放する救い主である、ということはまだ分からなかったからです。それが分かるようになるのは、十字架と復活の出来事を待たなければならなかったのです。

母親を見て憐れに思われた
ナインの町の出来事では、主イエスが行った他の奇跡のように、誰も主イエスにお願いをしていません。主イエスは、お願いされる前にさっさと奇跡を行ったと言えます。お願いされなくても主イエスが奇跡を行うに至るきっかけが、今朝の箇所の中で語られています。それは、「母親を見て、憐れに思った」という言葉です。目の前に、悲劇の現実があることを御自分の目で確認され、それに対して憐れに思われた。ここで「憐れに思う」というのは、ギリシャ語のスプランクニゾマイという動詞ですが、元になっている名詞は、「内臓」という意味です。要するに心臓とか、肺、あるいは肝臓とか、腸など、そこが痛むという意味の言葉です。「はらわた痛む」という訳し方もあります。主イエスは嘆き悲しむ母親を見て、本当に憐れに思われたのです。それが主イエスをして奇跡の業を行わせたことなのです。私たちが救い主と信じる神のひとり子は、私たちが苦難や困難に陥った時に、御自分の心を本当に私たちの苦しみや悲しみに傾けて下さる方なのです。私たちが苦難や困難に陥るというのは、主イエスに見放されたということではありません。実はその時、主イエスの心は騒ぎ、ナインの町の未亡人を可哀そうに思ったと同じように、私たちをも可哀そうに思っているのです。慈しみ深く憐れに思われているのです。

もう泣かなくてもよい
絶望の涙にくれる母親を見た主イエスは、憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と言われました。主イエスは、主イエスしかすることのできない仕方で、この母親と関わられたのです。「憐れに思い」という言葉は、私たちが気の毒な人を見て感じる憐れみの思いとは質の違う意味を持っています。ルカによる福音書において、この「憐れに思い」という言葉が使われている他の箇所は、一つは10章33節、「善いサマリア人」の話において、強盗に襲われて倒れている人を見たサマリア人が、「憐れに思い」介抱したという所です。このサマリア人は、日頃自分たちを差別していて仲が悪いユダヤ人の旅人が倒れているのを見て、敵であるにもかかわらず、危険を顧みず介抱し、自分のろばに乗せて宿に連れて行き、治療のための費用を支払ったのです。このサマリア人は「その人を見て憐れに思い」と言っています。
もう一つの箇所は15章20節です。いわゆる「放蕩息子」の話において、父の遺産を先に受け取って家を飛び出し、放蕩の限りを尽くして無一物になり、乞食のような姿で帰って来た息子を見た父が、「憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」と記されています。まだ遠くにいたのに走りより彼を家に迎え入れたという所です。この息子は父に背いて家を飛び出し、しかもその財産を食いつぶして全てを失ったのです。これらはいずれも、私たちが普通に抱く同情や憐れみをはるかに超えたことです。主イエスが語られたこの二つのたとえ話の中で、主イエスの深い憐れみが語られています。ご自分の内臓をえぐられるような同情、憐れみを主イエスは覚えたのです。そして「もう泣かなくてもよい」とおっしゃったのです。

死の前の無力さ
ここに語られているのは、主イエスが死んだ人を生き返らせるという驚くべき奇跡を行った、というだけのことではないことが分かります。この御業には、主なる神ご自身が民を訪れ、救いを与えて下さるという恵みの御心が示されているのです。私たちは皆、死の力に支配され、希望を失ってしまいます。その絶望の中で、泣いている私たち人間を主は深く憐れみ、救って下さるのです。私たちは皆、死の力に支配されています。それは肉親の死の悲しみを体験したり、また自らの死への恐れを覚えている者だけのことではありません。私たちは、この葬列に連なっているナインの町の多くの人々と同じように、死の悲しみや恐怖の中にいる人をどうかして慰めたいと思っています。その傍らに付き添うことによって、何がしかの慰めになりたいと願っています。けれども私たちがそこで感じるのは、死の圧倒的な力に立ち向かって慰めを与えるような言葉を自分は持っていないということです。全ての希望を打ち砕くような死に直面する時に、慰めの言葉のかけようもない、ただ傍らで共に涙を流すことしか出来ない無力さを思い知らされるのです。そういう意味で、私たちの誰もが、死の力の前で無力であり、結局はその支配を受け入れ、それに服するしかないのです。神は、そのような私たちを深く憐れみ、救いを与えて下さいます。その恵みの御心が、この出来事において示されているのです。
主イエスは「深く憐れまれた」のです。主イエス・キリストは、死の支配下へと私たちを送ろうとする葬列の前に立ちはだかり、それを押し止める方なのです。「あなたがたが向かうのは、死の力が支配する死者の国ではない。私を復活させ、新しい、永遠の命を与えて下さった父なる神の恵みのご支配の下へと、私はあなたがたを導く。あなたがたの歩みは、神が与えて下さる新しい命へと向かっているのだ」、そう主イエスは語りかけておられるのです。死の支配の現実の中に、主イエスの、「もう泣かなくともよい」というみ言葉が響くのです。

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