12/24燭火礼拝「クリスマスの喜び」

コロナ禍で行えなかった燭火礼拝を再開できて主に感謝しています。主イエス・キリストご誕生の聖書のメッセージを語ります。10節に、天使は、野原にいる羊飼いに伝えました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と。私も今日、皆さんに、大きな喜びを告げます。クリスマスおめでとう。“今日、大磯教会で、あなたがたのために救い主がお生まれになった”と。
あなたが苦しい時、悲しい時、支えてくれる、慰めてくれる救い主、また独りの時、一緒にいてくれる救い主、もうだめだと諦(あきら)めそうになる時、勇気と希望をくださる救い主が生おまれになりました。確かにそれは、私たちにとって大きな喜びです。
クリスマスの夜、天の大群は神を賛美して歌いました。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御(み)心に適う人にあれ」(1節)。
皆さん、ちょっとイメージしてみてください。その時、天を埋め尽くすほどの天使の群れとまばゆい輝きだったのではないでしょうか。けれども、その光景がだれにでも見え、天使の声がだれにでも聞こえたわけではありません。羊飼いたちにしか見えず、聞こえなかったのです。それを見、お告げを聞いた羊飼いたちは、ベツレヘムへと向かいました。「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」イエスさまを探し当て、「主が知らせてくださったその出来事」(15節)を見るためです。
「地には平和、御心に適う人にあれ」
この「地には平和」。これこそ神さまの御心なのです。しかし、振り返ってみると、平和とは何だろう?と考えさせられる出来事が、地上に多くありました。コロナというウイルスが世界中で広がり、多くの人が亡くなり、人と人とが会えなくなりました。結果として家族の親密さが増したり、良いこともあったのですが、大変な3年以上の月日でした。それがようやく収まってきたら、こんどはウクライナが戦場になり多くの人々が戦いで死に、破壊され悲劇はまだ続いています。またパレスチナではガザ地区の狭い土地が戦いの場になり女の人や子どもたちが死んだり苦しんでいます。戦争して喜ぶ人はいないはずなのです。一部の傲慢な野心家だけです。世界はどうなるのだろう?と不安を感じます。
「地には平和」。私たちもそのように祈らざるを得ないのです。私たちが、御心が天で行われるように、地上でも行われますように、と主の祈りで祈るのは大切な、尊い祈りです。 けれども、「地には平和」との御言葉の後で、天使はこう続けます。「御心に適う人にあれ」と。この言葉はどういう意味なのでしょう?神は、御心に適う人には平和を与えるが、御心に適わない人には与えないという差別でしょうか?そうではありません。神は、地上のすべての人に平和を望んでおられます。そのためにご自分の独り子イエスさまを生まれさせたのです。すべての人に平和を実現させるために。
そして神は、「地には平和」を実現するために協力する“人”を必要としています。 “平和を実現するために私を用いてください”と祈り、生きる人を必要としているのです。そのような人のあるところ、平和が実現していくと聖書は語っているのです。
「地には平和、御心に適う人にあれ」。神は、私たちを、平和を実現する器として用いることを望んでおられます。
マザー・テレサという人は、こう言いました。
「あなたが世界平和に貢献するためには、家に帰って、家族を大切にしてくださ
い。地に平和を実現する第一歩は、最も身近な場所で、身近な人を愛することだと言われました。
家族を大切に愛し、職場や学校、ご近所で接する人を愛することだと、マザ
ー・テレサは教えています。宗教の名の下に家族のことを顧みずに、過った教えに翻弄された悲劇が起きています。私自身、本当に家族を大切にしているか。ご近所と仲良くしているか。自分の教会のことしか考えていないのではないか、と自問します。平和な世界と神のみ栄えは、私たち一人ひとりの小さな愛の光が集まって表わされるのです。イエス・キリストのお誕生を心からお祝いいたしましょう。
お祈りします。

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