はじめに
今朝は、イエス・キリストのご復活日・イースターを迎えました。ところで、イースターというのは、クリスマスのように12月25日というように日にちが決まっているわけではありません。毎年、日にちが違うわけです。西暦325年のニカイア会議という教会会議で決められたのですが、こう決められました。
春分の日の直後に来る満月の次の日曜日に復活祭を祝う、というように決められているのです。なかなか難しいのです。ちなみに来年のイースターは4月20日(日)となっています。
今朝は、そのイースターの朝なのです。初期のキリスト教徒は、ユダヤ社会の中にいたので、土曜日を特別な日、安息日として厳格に守るユダヤ社会にいましたが、ユダヤ教とははっきりと区別された日曜日、つまりキリストが十字架にかけられて三日目の朝を主の日とすることが確立されました。つまり日曜日は、いつでもキリストの復活の記念の日であるわけですが、イースターはそれらすべての日曜日の原点となる日だと言うことになります。
早速、主のご復活について記したルカによる福音書24章1節から12節の箇所から御言葉の恵みに与りましょう。
墓へ行った婦人たち
24章の1節は「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った」となっています。この文には「だれが」という主語がありません。主語は、今朝の聖書箇所のすぐ前の、「婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ」と記されている、「婦人たち」です。23章55節の「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは」、ここに主語が示されています。つまり週の初めの日の明け方早くに墓に行ったのは、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たち」です。その名前は今朝の箇所の10節に記されています。「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」です。これらの女性たちは、主イエスがガリラヤで宣べ伝えておられた頃から従っており、主イエスと弟子たちの一行に奉仕していたのです。その婦人たちが、主イエスと共にエルサレムにまで来ており、そして主イエスの十字架の死を、「遠くに立って」見ており、そしてその埋葬を見届けたのです。56節には、その婦人たちは香料と香油を準備したとあります。安息日が始まろうとしていたので急いで埋葬された主イエスの遺体にそれらを塗り、もう一度丁寧に埋葬しようとして、婦人たちは安息日の明けた週の初めの日の明け方早く、主イエスが葬られた墓に行ったということです。
途方に暮れた
この墓は、岩に掘った墓でした。そして入口を塞いでいた石がわきに転がしてあり、その墓の
中に主イエスの遺体はありませんでした。婦人たちは、主イエスが十字架につけられて殺されてしまったという言い様のない悲しみ、嘆き、絶望の中でその前の一日、安息日を過ごしました。その絶望の中での唯一の慰め、そして希望は安息日が明けたら岩のお墓へ行って、主イエスの遺体ともう一度対面し、丁寧に香料を塗ってさしあげることができる、主イエスへの最後の奉仕ができる、ということだったでしょう。だから、夜明けと共に、何をするよりも先に墓へと急いでやって来たのです。それなのに、そこにあるはずの主イエスの遺体が見つからない。婦人たちはそのために「途方に暮れていた」と4節の初めに記されています。せめて主イエスの遺体に香料や香油を塗って丁重に葬りたい、そのことだけを慰めに、安息日が明けて朝になるのを待ちきれずにやって来たのです。しかし、その主イエスのお体が見つからない、どこへ行ってしまったのか分からない、それは婦人たちにとって、絶望の上にさらに絶望を塗り重ねられるような出来事だったでしょう。「途方に暮れていた」というのはそういうことです。イースターの朝は、この婦人たちが絶望の中で「途方に暮れた」、そのことから始まったのです。
思い出しなさい
婦人たちが途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れたのです。明らかに人間とは違う、天使でしょうか。そして言いました。「なぜ、生きておられる方を死者の中から捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。」どうしてあなたがたはそんなに記憶力が悪いのか。聞いたことがないことではないのだ。あなたがたが既にガリラヤにあって、毎日主のそばにあって聴き続けた御言葉の中になかったか。「人の子は必ず罪人の手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる」。その言葉を思い出しなさい、と天使は言ったのです。ルカによる福音書は、ここで「思い出す」という言葉を使っています。他の福音書にはない言葉です。「思い出しなさい」。そして婦人たちは御言葉を思い出したというのです。思い出したから使徒たちに語らずにおれなくなったのです。「思い出す」というのは、ただ記憶しているというのとは違うのです。日本語のよい表現として「思い当たる」という言葉があります。自分の心の中に留まっているある言葉を、何かの経験、何かの出来事をきっかけにして思い起こして、納得することと説明があります。ああ、そうか、あの時、先生が言われたのはこのことであったのかと思い当たるとか、納得することです。その言葉の真の意味を理解するのです。そして心に留めるのです。
分かりたくなかった婦人たち
主イエスは既に三度にわたって、ご自分が長老、祭司長、律法学者たちによって捕えられ、殺され、三日目に復活することを予告しておられました。弟子たちも婦人たちも、そのお言葉を聞いていたはずなのです。そのお言葉を思い出して、イエス・キリストの語ったことを信じなさい、と天使たちは言ったのです。
8節には、「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した」とあります。婦人たちは天使の言葉によって、主イエスがご自分の死と復活を予告しておられたことを思い出したのです。つまり、それを聞いた時には、何のことか分からなかった、と言うよりも、主イエスが捕えられて殺されてしまうなどということは考えたくもなかったのかもしれません。分からなかったと言うよりも分かりたくなかったのです。「分からない」というのは、実は「分かりたくない」のです。それを分かってしまったら平穏ではおれなくなるからです。そういう言葉に私たちは耳を塞ぎたくなり、「分からない」と言うのです。主イエスの受難の予告に対しても、婦人たちはそのように耳を塞いでいたのだと思います。そしてそれは同時に、復活の予告にも耳を塞いでいたということです。しかし今、主イエスの十字架の死を目の当たりにし、そしてその遺体がなくなった、という現実の中で天使たちの語りかけを受けたことによって、主イエスのお言葉が婦人たちの心にもう一度よみがえって来た、それがこの「イエスの言葉を思い出した」ということでしょう。
ところで、果たして婦人たちは、主イエスの復活を信じていたのか、主は復活して今も生きておられる、という喜びに満たされていたのか、それは微妙です。おそらくは半信半疑だったのではないでしょうか。本当に主イエスは復活して生きておられるのだろうか、確信が持てない…それが彼女たちの状態だったのではないかと思うのです。
私たちへの問いかけ
わたしたちは今、この婦人たちと同じ状況にいるのです。主イエスは復活して今も生きておられるのです。教会はそのことを告げ知らせています。教会がこうして日曜日に礼拝を守っているのは、この日曜日、つまり週の初めの日に主イエスが復活なさったことを記念しているのです。私たちは教会の礼拝において毎週、主イエスの十字架の死と、そして復活によって神が私たちのための救いのみ業を成し遂げて下さったことを聴いています。そしてそれが、旧約聖書の預言の言葉の成就実現であることも教えられています。今朝、私たちに与えられた旧約聖書の箇所はイザヤ書53章11節と12節の2節だけです。もう一度お読みします。
11彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。
12それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。
多くの人の罪と過ちを担い、それらを背負って苦しみを受け、罪人の一人に数えられて死んだこの人こそが、罪人が正しい者とされ、罪の赦しを与えられるために執り成しをした救い主である、と語っているこの箇所は、まさに神の独り子である主イエスの十字架の死によって私たちの罪の赦しが与えられることを予告している言葉です。そして、「わたしは多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける」というのは、主イエスの復活を予告している言葉だとも言えます。この預言者イザヤが語っていたことが、主イエスにおいて実現したのです。私たちは礼拝においてそのことを告げ知らされています。その御言葉を聞いた私たちがどうするのか、主イエスの復活を信じて、その十字架の死と復活によって神が与えて下さる救いをいただいてその喜びに与っていくのか、それともなお、どうもよく分からない、半信半疑だ、という思いの中を歩み続けるのか、そのことが私たち一人一人に問われているのです。
御言葉を思い出す
私たちは説教を聞いていると、気が付くかもしれません。説教者は何度も同じことを語っているのです。特に、クリスマスや、レントや、イースターなどでは何度でも同じ聖書箇所で説教を
聞いているのです。説教者は毎回同じことを語っているということを。それは何を意味するのか。聖日礼拝毎に語ります。根本的に新しいものはありません。しかし、それを常に新しく思い起こすのです。新しい言葉として聞き直すのです。
数年前の西湘南地区の信徒研修会で、キリスト新聞社の比較的若い社長を講師にお招きして講演を聞きました。大磯教会からも何人か出席されましたが、自己紹介の中で、この方は父親も兄も神学校を出て牧師になっているという環境にあったようですが、クリスマスの同じ聖書箇所から毎回説教を作る大変さを見ていて、牧師になることをやめたと、面白い表現をされていました。確かに説教者として共感するところがあります。聖書の御言葉はいつも同じですが、それを常に新しく思い起こすのです。聖霊の働きを待つと言ったらいいかもしれません。
先週の3月29日の金曜日は、キリストの受難日でしたが、その日の12時から日本キリスト教会湘南教会で、5年ぐらい前まで共に大磯教会で礼拝していた藤﨑利明兄の葬儀がありました。既に湘南教会へ転会されていたので、長老以外は緊急連絡網でお知らせしませんでしたが、牧師夫妻と小林長老が出席ました。83歳ですから今の時代、まだまだ元気で生きていられたのにと残念な思いでした。女性の牧師の司式で、藤﨑兄の日曜学校の時のことや受洗、子供たちに愛情を示された家庭生活、湘南教会での会計長老であったことなど、また旅行が好きであったことなど知らなかったことも多くあり、丁寧に話され、私と藤﨑兄との60年にわたる交流を思い起こし、心に残るものがありました。わたしが愛知県に住んで、遠く離れていたのに、牧師になるために教団の教師試験を独学で受験していた4年間、毎年、クリスマスに本代が大変だろうと図書券を送って下さったのは、多くの先輩・友人の中でも藤﨑利明兄だけでした。大磯で伝道師、牧師となってからも毎年、図書券をプレゼントして下さったのです。何より驚いたのは、湘南教会の古株の信徒であり、長老しての重鎮あったにもかかわらず、私が大磯教会へ赴任してから、大磯教会に転入会されたことです。そして脊柱管狭窄症と多くの病気を抱えて歩行が出来なくなるまで、6年間、大磯教会の礼拝で私の説教を聞いて下さったのです。そして、私の日曜学校時代の教師の時のように、そっとアドバイスされたのです。「説教の最初はいいんだけど、最期の結論がないんだよな。」自分の責任と思われたのでしょう。ちょっと手厳しい忠告に、すこしうっとうしさを覚えたのも事実です。
葬儀が火葬場の予約の関係でキリストの受難日になったのは、偶然とも思えない神の御計画の
ようにも思えました。棺の中の藤﨑兄の既に硬直た顔に、わたしは岩の墓に埋葬れたキリストの顔を見た思いがしました。
皆さんも、いろいろな思い出を持っておられると思います。思い出は美しいと言います。なぜでしょうか。美しい思い出でなければ私たちはその思い出に生きることはできないと思っています。いやな思い出は捨てて、美しい思い出だけを残すのです。けれども、いやなことは忘れるということは、一種のごまかしということです。自分の醜さを覆い隠そうとする。自分の醜い過去を知っている人に会いたくないのです。しかし、私たちの思い出がどんなに醜かったとしても、その思い出の中に神の思い出が入ります。あの時既に神は私たちもとらえてくださった、愛してくださったという神の思い出が混じるのです。主のよみがえりの出来事に巻き込まれた婦人たちも、どんなに豊かな思い出に生きることができたであろうか。復活はまことにすばらしい思い出を呼び起こす出来事です。そして、そこで、主の十字架が、真実に罪の赦しとして、罪からの解放として力を発揮するのです。教会はその思い出に生きています。思い出を持っているから、本当の新しいいのちに向かって走ることが出来るのです。どんな日々であっても、神の愛の中にあったことを思い出すことができる。そして今、神が備えていてくださる、皆に与えてくださっているいのちに向かって走ることができるのです。