4/7説教「エマオへの道」

はじめに
先週はイースター礼拝で、主のご復活を祝い、そのあと久し振りに対面で楽しい愛餐会を持てたことは感謝でした。それぞれに思いを語る機会となり良かったと思います。そして思いもよらず私の77歳の、世間で言うところの喜寿のお祝いまでしていただいて感激でした。そして、今朝は2024年度の最初の礼拝です。礼拝に集うそれぞれの方々に、思い悩みや、困難な壁に突き当たっているという現実もあると思います。復活し、天に昇られ、生きておられる主に祈り求める一年でありますように。また、大磯教会としても新たな思いを持って今年度に期待するところがあります。コロナ禍のためや、教会員の高齢化に伴い、礼拝出席者の減少や、教会会計でも厳しい面もありますが、新たな思いをもって福音が前進するように、内向きではなく、上を向いて新しい年度の歩みを始めたいと思います。そこで、週報裏面の2024年度の教会目標も「なぜ、何を、いかに伝道するか」と掲げました。教会の目指すところは必ずしも教会員の数ではないと思いますし、今まで「伝道」ということを正面から目標に掲げたことはありませんが、しかし、復活のキリストは、弟子たちに、キリストの復活と、悔い改めを、あらゆる国民に宣べ伝えるように、宣教命令を出されているのです。教会はその使命を受け継いでいます。復活の証人として伝えてゆきたいと思います。
さて、今朝与えられた御言葉は、エマオでの出来事です。早速、御言葉の恵みに与りましょう。
エマオ途上の弟子たち
人々が復活した主イエスと出会い、その復活を本当に信じ、喜びに満たされたことは、ルカによ 
る福音書24章13節以下、つまり今朝の箇所以降において語られています。そういう意味で13
節から始まるいわゆる「エマオへ向かう途上」での話は、ルカによる福音書が語る主イエスの復活
において中心となる話だと言えます。主イエスの復活を信じ、その喜びに満たされるとは、どのよ
うなことなのか、そのことが語られているのです。
さて13節には「ちょうどこの日」と書かれています。「この日」とは、主イエスの復活の日、主
イエスの十字架の死から三日目の週の初めの日ということです。二人の弟子が、エルサレムからエマオという村へ向かって歩いて行きました。エマオという村は、エルサレムから東へ、つまり地中海方面へ11㎞程いったところにある村で、「温かい井戸」という意味があると言います。そして、「弟子」とあるのですから、彼らは主イエスに従ってきた人々です。二人の内の一人の名前はクレオパだったと18節にあります。主イエスの十二弟子の中にその名前はありませんが、彼も主イエスに従っていた人なのです。22節を読むと、彼らは今朝主イエスの墓で起ったことの情報を既に知っています。婦人たちが墓に主イエスの体が無いことを知り、弟子たちに伝えた時、この二人もそこにいたということでしょう。その二人の弟子が、その後エルサレムを離れ、エマオという村へと向かったのです。何のためにエマオへ向かったのか、それは分かりません。大事なことは、彼らがエルサレムを離れようとしていた、ということです。主イエスが十字架につけられて死んだエルサレム、そして今朝婦人たちがその復活を告げる言葉を天使から聞いた、そのエルサレムを彼らは離れて行こうとしていたのです。
希望を打ち砕かれて
二人の弟子は、歩きながら「この一切の出来事について話し合って」いました。「この一切の出来事」それは19節以下に語られているように、「ナザレのイエスのこと」です。自分たちが信じて従ってきた主イエスが捕えられ、十字架につけられて殺されてしまったこと、ところが今朝、その墓から体が無くなっているのを婦人たちが見つけ、天使が彼女らに「主イエスは復活して生きておられる」と告げたこと、それらのことについて彼らは話をしていたのです。するとそこにいつのまにか一人の人が近づいて来て、一緒に歩き始めました。その人こそ、復活した主イエス・キリストご自身でした。しかし「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」とあります。復活した主イエスが傍らを共に歩いておられるのに、目が遮られていてそのことに気付かなかったのです。共に歩いているその人は、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と尋ねました。すると「二人は暗い顔をして立ち止ま」りました。クレオパは、「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」と言いました。主イエスは忍耐強く「どんなことですか」と、お尋ねになりました。この主イエスの問いに促されて彼らは、今何を論じ合っていたのか、自分たちがどのような気持ちでエルサレムを離れて行こうとしているのかを語っていったのです。二人の弟子は語りました。
ナザレのイエスは、神からイスラエルの民に遣わされた預言者であり、行い、つまり御業においても、教えにおいても力ある方だった。彼らは主イエスのことをそのように捉えていました。それゆえに21節にあるように「あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけて」いたのです。主イエスこそ神によるイスラエルの民の救いを実現して下さるメシア、救い主だと彼らは期待し、それゆえに主イエスに従って来たのです。主イエスがエルサレムに上ろうとされた時、彼らは、いよいよイスラエルを解放し、救いを実現して下さる時が来たのだと思い、喜んだのです。ところが彼らの期待は裏切られました。20節「それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです」。こんなはずではなかった、主イエスに期待して従ってきた自分たちの歩みが全て無駄になってしまったと感じたのです。
エマオへ向かう二人の弟子が今エルサレムから離れて行こうとしているのはそのためでした。主イエスに期待し、希望を抱いて従って来たエルサレムで、その希望を徹底的に打ち砕かれたのです。もうこのエルサレムにはいたくない、一刻も早くそこを離れ去りたい、それが彼らの思いなのでした。二人の弟子は、「イエスは生きておられる」と告げた天使の言葉を信じることが出来なかったのです。主イエスの復活を告げる言葉は、とうてい信じることができない「たわ言」にしか聞こえなかったのです。「主イエスは生きておられる」と聞かされても、彼らの希望はなお打ち砕かれたままです。イースターの日の昼日中にありながら、彼らは復活の喜びを得ておらず、まだ主イエスの受難による悲しみの中にいるのです。「二人は暗い顔をして立ち止まった」という17節の言葉がそれを象徴的に表しています。
私たちと共に歩まれる主
エマオへと向かう二人の弟子は、主イエスが復活して生きておられることを信じることができず、その喜びを得ることができていないのです。それは私たちの姿ではないでしょうか。私たちも、あの婦人たちやこの弟子たちと同じように、聖書を通して、また教会の教えによって主イエスの復活を告げ知らされています。しかしそれを本当に確信をもって信じることができず、主イエスの復活の喜びに満たされることができず、主の復活を記念する日である日曜日の礼拝に集いながら、なお受難週の中を生きているようなことがあるのです。婦人たちもこの二人の弟子も、特に疑り深いひねくれた人間だったわけではありません。むしろ主イエスに従って来た人たちなのですから、その彼らが、イースターのこの日、まだ主イエスの復活を確信することができずにいるのです。 けれども彼らはこの後、主イエスが復活して生きておられること、いつも共にいて下さることを確信するに至るのです。この二人の弟子たちの傍らに、復活なさった主イエスが近付き、共に歩いておられるのです。彼らは目が遮られていて分からなかったけれども、生きておられる主イエスが、既に共に歩んで下さっていたのです。なんと幸いで恵まれた弟子たちでしょうか。彼らの姿が私たち自身の姿であるならば、このことも私たちに起っているのです。復活して生きておられる主イエスは、その確信をまだ得ることができていない私たちのところに来て下さっており、既に共に歩いて下さっているのです。
二人の弟子が主イエスに近づいたのではないのです。主イエスご自身が二人の弟子に近づいて来られたのです。そして、「イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた」と記されています。この「一緒に」という言葉も大切な言葉だと思います。この15節はキリスト教でいう信仰とは何かをよく表していると言えるのではないでしょうか。信仰とは、私たちの方から近づいて主イエスに出会うのではなくて、主イエスの方から近づいて来られて私たちに出会ってくださるのだということ、そして主イエスは私たちと一緒に同行してくださるのだということ、そのことを受け入れることではないでしょうか。今朝のルカによる福音書の記事はそのことを私たちに示してくれているのです。
目が開け、イエスだと分かった
28節以下、そこには、夕方になって彼らがエマオの村に着いた時のことが語られています。道々聖書を語ってくれたあの旅人はなおも先へと歩み続けようとしていました。二人はその人に、もう夕方だから自分たちと一緒にこの村に泊まるように勧めました。「無理に引き止めたので」と29節に語られています。彼らはこの人の語る聖書の話をもっと聞きたかったのです。そのようにして彼ら三人は夕食の席に着きました。その席で、主イエスが「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」。するとその時、二人の目が開け、イエスだと分かったのです。彼らはこの時ようやく、主イエスが本当に復活して生きておられることを信じることができるようになったのです。そこには、主イエスの復活を信じる信仰がどのようにして得られるのかが示されているのです。つまり、彼らが主イエスの復活を信じたのは、「主イエスは復活して生きておられる」という知らせを聞いたことによってではありませんでした。また主イエスの十字架や復活について、人間どうしの間であれこれ論じ合うことによってでもありませんでした。主イエスの復活を信じる信仰は、主イエスと共に食事の席に着き、主イエスが分け与えて下さるパンをいただき、食する、その体験の中でこそ与えられるのです。主イエスの復活という奇跡も、頭の中で考えているだけではいつまでたっても本当に分かり、信じることはできません。生きておられる主イエスとの出会いと交わりの中でこそそれを信じることができるのです。
主よ、共に宿りませ                                     そして、二人の弟子は主イエスを「無理に引き止めた」(29)のです。そして「一緒にお泊り   ください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と懇願しました。主イエスは弟子たちの求めに応じられて「彼らと共に泊まるために、家に入られた」のです。英国スコットランドの牧師であり、讃美歌作家であったヘンリー・ライトはこの時の素晴らしい情景を作詞しました。讃美歌21「日暮れて闇はせまり」(讃美歌39)です。彼はこの詩を死を目前にして、告別の歌として残したと言われています。作曲はウイリアム・モンク、彼は沈み行く太陽を眺めて、霊感を覚えて10分で作曲したと言われています。            
日暮れて やみはせまり わがゆくて なお遠し 助けなき 身の頼る 主よ、共に宿りませ
もし、弟子たちが「無理に引き止め」ていなければ、取り返しのつかない事になっていました。主イエスは決して意地悪をされたのではありません。人間側の執拗な渇望を求めておられたのです。
「求めよ、そうすれば、与えられる。捜せ、そうすれば、見出す。門を叩け、そうすれば あけてもらえる」のです(マタイ7:7)。どうか私たちも、復活された主イエスに、「主よ、共に宿りませ」とお願いしたいと思うのです。
心が燃える体験
しかしこの食事が復活した主イエスとの出会いの場となるためには、備えが必要でした。主イエスご自身が聖書を説き明かして下さったこと、つまり説教を聞いたことがその備えとなったのです。そのことを振り返って彼らは、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合いました。聖書の説き明かしによって心が燃える体験をすること、言い換えれば、聖書の言葉が自分に対する神からの語りかけとして響いてくること、それが、主の招いて下さる食卓における主イエスとの出会いへの備えとなったのです。ろうそくは点灯されなければ燃えません。私たちの心は、自然発生的に燃えるのではありません。二人の弟子の心が燃えたのは、主イエスが、道々お話しになり、聖書を説き明かしてくださったからです。そうでなければ、二人の弟子の心が内に燃えることはなかったでしょう。聖書の説き明かしによって、主イエスが招いて下さる食卓における出会いへの備えがなされる、それは私たちの礼拝で言えば、説教と聖餐の関係を表しています。礼拝において、説教を聞くことと聖餐にあずかること、その二つが結び合う所に、主イエスとのまことの出会いが与えられ、復活して生きておられる主イエス・キリストと共に歩む信仰の生涯が与えられるのです。
主イエスの姿が見えなくなった
主イエスを中心とする食卓において、目が開け、イエスだと分かった、そのとたんに、「その姿は見えなくなった」と31節にあります。彼らが主イエスの復活を信じることができなかった間は、主イエスは目に見える仕方で共に歩み、語りかけ、教え、パンを分け与えて下さったのです。しかしそれが主イエスだと分かり、復活して生きておられる主イエスが共にいて下さることを彼らが信じたとたんに、そのお姿は目に見えなくなりました。それは、主イエスが復活して生きておられ、共にいて下さることを信じた者は、もはやそのお姿をこの目で見る必要はないからです。そしてそれが、洗礼を受けて信仰者として生きる私たちのこの世における生活です。私たちは、復活して生きておられる主イエスが、肉体の目には見えない仕方で共にいて下さることを信じて生きるのです。どのように暗い、困難な状況においても、目に見える現実には何の救いも助けも見出せないような中でも、私たちのために十字架にかかって死んで下さり、復活して今も生きておられる主イエスが共にいて下さることを信じ、その主イエスに依り頼み、そこに希望を見出すことができるのです。私たちは聖書を通して、主が語り掛けてくださる御言葉により心が燃える経験を今年度も積み重ねてゆきたいと思います。 お祈りします。

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