6/23説教「安息日の主」

はじめに
今朝の聖書箇所であるルカによる福音書1節から5節と、それに続く6節から11節では安息日についての主イエスとファリサイ派の人たちとの二つの論争が語られています。この安息日についての論争は、これまでの徴税人レビたちとの食事や断食についての論争以上に、主イエスに従う生き方とファリサイ派の人たちの生き方との違いを明らかにしました。ファリサイ派の人たちは、十戒を中心とする律法を厳格に守って生活していましたが、安息日を守るのはその十戒の中心といえます。それだけに安息日についての論争は、ファリサイ派の人たちにとって譲れないものでした。二つ目の論争の最後11節で、ファリサイ派の人たちや律法学者たちが「怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」とあります。この安息日については、主イエスのお言葉とみ業に対して、彼らは怒り狂ったと語られています。そして「イエスを何とかしようと話し合った」と記されています。今朝は前半の1節から5節の御言葉からその恵みに与ります。早速、安息日論争から主イエスの御言葉を聞きましょう。

ファリサイ派の批判
6章1節から5節に、ファリサイ派のある人々が主イエスと弟子たちを批判したことが語られています。この批判の理由は、ある安息日に、主イエスと弟子たちが麦畑を通っておられた時に、弟子たちが麦の穂を積んで手でもんで食べたことでした。それを見たファリサイ派の人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言ったと記されています。ここで、ファリサイ派の人々が批判していることは何かを明らかにしておく必要があります。ここでは主イエスの弟子たちが麦畑で勝手に穂を積んで食べたのがいけないと言っているのではありません。それは神から与えられた掟である律法においても許されていたのです。空腹である者は、人の畑の作物を取って食べてもよいのです。しかし、自分が食べる以上に採ってそれを売ったりすることは許されていません。自分の飢えをしのぐことのみが許されているのです。畑の所有者はそれを許すことによって貧しい人、飢えている人を助けるべきことを神は命じておられるのです。これはある意味、大変すばらしいことで、現代の私たち以上の助け合いの精神かもしれません。「落穂ひろい」という有名な絵画がありますが、刈り取った後の落ち穂を拾うことは許されるという慣例にも通じます。もっとも様々な社会保障制度がなかった時代の話しですから、比較にはならないでしょうが、助け合いという思いはいいろいろなところに制度としても現れるのです。私ごとになりますが、40歳で市役所勤務の安定した生活を捨てて愛知県に移り住んだわけですが、60歳で大磯教会の伝道師として招かれる前の20年間は、愛知県で様々な職業に就きました。その間、何度か失職し、失業した直後、何か月か失業給付を受けたことがありますが、大変助かりました。その当時は大変なことだったと思うのですが、最近、会社員だった頃の厳しく大変だった頃のことが懐かしく思い出されます。会社員だった20年間に会社の倒産が1回、首になったのが1回、自己都合退社が2回ありましたが、倒産とか会社の都合で失業した時は、辞めてすぐに失業給付が受けられました。自己都合退社の時は、確か2~3か月間は失業給付は受けられなかった記憶があります。今はどうなっているかは知りませんが。いずれにしても失業給付期間は次の仕事を見つけるように努力しなければならないのですが、私はどちらかといえば失業期間は楽しかった気がします。働かなくてもお金がいただけるのですから。この期間は昼間の時間が自由ですから教会の祈禱会にも出ることができました。そんなある日、牧師から神学校に行ってみたらと言われたのが、牧師になるきっかけでもあったわけですから、神の導きはどこにあるか分からないものです。
ところで、ファリサイ派の人々が主イエスを批判したのは、弟子たちがこれをしたのが安息日だったからです。安息日には、一切の仕事をやめて休むことが律法に定められています。しかし麦の穂を摘むことは刈り入れという仕事に当り、手でそれをもんだのは脱穀という仕事に当る、それゆえにこれは安息日にしてはならないことだ、とファリサイ派の人々は言っているのです。現代の私達にはばかばかしいことのように思いますが、ユダヤ人たちは、安息日の掟を非常に大切に守っていました。それをしっかり守るために、安息日にしてもよいこと、つまり仕事には当らないことは何か、してはならないこと、つまり仕事に当ることは何か、のリストが作られていったのです。たとえば安息日に歩いてもよい距離も定められていましたし、安息日には煮炊きをしないために、前の日に作っておいたものを食べるなどしていました。紀元前の時代には、敵に攻められた町の人々が、安息日だったので一切抵抗をせずに全滅した、という悲劇的事実すらあったそうです。ユダヤ人はまさに命がけで安息日を守ってきたのです。彼らはそのことによって自分たちが神の民であることを確認しているのでしょう。エルサレム神殿は二度も破壊され、ユダヤ人はディアスポラのユダヤ人として世界中に散らされましたが、民族のアイデンティティーをそこで確認しているのです。安息日を守ることは、世界中どこにいてもできるし、またそれは具体的な生活に現れますから、それによって周囲の人々との違いをはっきりさせることができるのです。ある説教者が語っていますが、何曜日に営業を休んでいるかによって、その人ないし家族の宗教が分かると語っています。ユダヤ教における安息日は週の七日目の土曜日です。ですから土曜日に休んでいれば、その人はユダヤ教徒です。キリスト教は安息日を主イエスの復活の日である日曜日に移しましたから、日曜日に休むのは基本的にキリスト教の世界の人です。イスラム教の安息日は金曜日ですから、金曜日に休んでいれば、イスラム教徒であると分かります。そして面白いことを言っています。全然休まずに営業している店があったら、あれは日本人だ、ということになるとかならないとか…。このように、安息日の掟は、ユダヤ人にとって、自分たちがユダヤ人であることのしるしとなるような大事なものなのです。土曜日の安息日をユダヤ人は今もしっかりと守っているのです。

ファリサイ派
ところで、ファリサイ派の人々というのは、神の律法を厳格に守り、そのことによって神の民としてしっかりと生きようとしていた人々ですから、主イエスとその弟子たちが、彼らの基準では律法に反する生活をしながら、神の教えを説いていることに我慢がならなかったのです。ファリサイ派の人々がいろいろなことで文句を言い、批判しているのはそのためです。そして安息日をどう守るかという重大な点における批判がなされたのです。

供えのパンを食べたダビデ
主イエスはファリサイ派の批判を正面から受け止められました。3、4節でこうおっしゃいま
した。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神
の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たち
にも与えたではないか」。これは旧約聖書サムエル記上21章にあるダビデの話です。ダビデは
サウル王の妬みによって命を狙われ、逃亡の身でした。そのダビデが、ある聖所において祭司に
パンを求めたのです。しかしそこにはあいにく、神に捧げるものとして取り分けられていた聖別
されたパンしかありませんでした。ルカはダビデが自らの判断で、祭司にしか許されていないパ
ンを食べ、供の者たちにも与えたということを強調しているのです。そしてそれを受けて5節で
「人の子は安息日の主である」とおっしゃいました。主イエスも、安息日の主として、弟子たち
の空腹を満たしてやるために、安息日にはしてはならないとされていることでも行なうことがで
きるのだ、と言っておられるのです。このダビデの物語は、安息日にしてはならないことを行っ
た主イエスと弟子たちの前例として語られているのです。

ダビデの物語が示すこと
しかしなぜ神さまは、律法でしてはならないことを行ったダビデを許されたのでしょうか。そ
してダビデの物語が、主イエスと弟子たちの前例として語られているとはどういうことなのでし
ょうか。王なら誰でも許されるということではないはずです。それは、ほかならぬダビデだから
許されたのです。このダビデとイエスとの関係を見つめることで、ダビデの物語がイエスの前例
として示していることが明らかになるのです。この福音書を書いたルカは、ダビデをどのような
人物として語っているのでしょうか。ルカ福音書の続きである使徒言行録の13章16節以下
で、パウロは伝道のために訪れたピシディア州のアンティオキアで説教を語っています。その説
教の中でパウロはダビデについて次のように語っています。22、23節です。「それからま
た、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたし
は、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。」つまりダビデは、神の「心に適う者」、神の「思うところをすべて行う」者として選ばれ王とされたのです。そうであるならば、聖別され神さまに献げられた「供えのパンをダビデが取って食べ供の者たちにも与えたことは、一見律法でしてはならないことですが、実は神さまの御心に適うことであり、神の御心を行うことであったのです。このダビデの子孫から神は救い主イエス・キリストを送ってくださいました。ですからダビデと同じように、いえそれ以上に、ほかでもない人の子イエス・キリストが、一見安息日にしてはならないことをし、また弟子たちにさせたのも、実は神の御心に適ったことであり、神の御心を行ったのです。このことをダビデの物語によって、イエスはファリサイ派の人たちに示されたのです。そのように理解できるのです。

神のものとされている日
日本語で安息日と言われると、お休みする日と受けとめられがちです。しかし安息日は、六日間働いて疲れたから七日目にはゆっくり休んで疲れを取って元気を回復する日ではないのです。つまり安息日とは、神さまのために区別された日なのです。それが聖別するということです。言い換えるならば、安息日は神のものとされている日であり、神に属している日なのです。だから安息日には自分の仕事をやめて、神のものとされている日を過ごすのです。日々の歩みを止めて、神のものとされている時間の中を歩むのです。そしてそのように過ごすことで、そのような時間の中で主なる神と出会うのです。神が特別な日、安息日を定めてくださったのは、私たちが共に神のものとされている日を過ごし、神のものとされている時間の中を歩むことによって、一人ひとりばらばらではなく一緒に神に出会うためです。個人的に神に出会うのであれば何曜日でもあり得るでしょう。しかし一緒に神の御前に進み出るためには、特別な日を定めなくてはなりません。特別な日を定めて、みんなで集まるのです。そのような日を神は定めてくださり、ご自分のものとしてくださったのです。安息日は、私たち人間の誰かのものではありませんし誰かのためにあるのでもありません。神のものであり、神のための日なのです。
ですから神のものであり神のための日である安息日は、なによりも神の御心を求める日であり、神の御心が行われる日です。そのために安息日に私たちは「いかなる仕事もしてはならない」と命じられているのです。

安息日に告げられる御心
私たちにとって安息日は土曜日ではなく、主イエス・キリストが復活された日、日曜日です。イスラエルの民にとって安息日が出エジプトの出来事を想い起こす日であったように、私たちは新しい安息日に主イエス・キリストの十字架と復活を想い起こします。その十字架の死と復活によって、私たちが罪の奴隷から解放されたことを覚えるのです。出エジプトの出来事がイスラエルをイスラエルたらしめたように、主イエス・キリストの十字架と復活こそ、私たちキリスト者をキリスト者たらしめるのです。そして私たちはこの新しい安息日である日曜日にみんなで集まり礼拝を守り、その礼拝において私たちは共に主イエス・キリストと出会います。なによりも神の御心を求め、神の御心が行われる日である安息日に、安息日の主であるキリストと出会うのです。そのためにこそ私たちは日々の歩みをとめて、神のものとされた日、神の時間を過ごすのです。そのように過ごす時間の中で、私たちは主イエス・キリストに出会い、神の御心、ご意志、ご計画を告げられます。御心をご存知であり、御心を行われる主イエス・キリストによって、神の御心が、神の愛が私たちに告げられているのです。安息日に礼拝で告げられた神の御心と愛によって、平日の歩みの中でぼろぼろにすり減ってしまった私たちの心に、本当の慰めと安らぎが与えられ、再び歩み出す力が与えられ、私たちは新しい週へと歩み始めていくことができるのです。祈ります。

TOP