7/7説教「聖なる主の祝日」

はじめに
今年度の礼拝での新約聖書の箇所は、基本的にはルカによる福音書から学びその恵みにあずかりたいと思っています。先週は講壇交換でヨハネによる福音書16章から弁護者なる聖霊について御言葉の説き明かしを与えられましたが、今朝はルカによる福音書6章に戻ります。二週間前の礼拝の御言葉の6章1節から5節の御言葉から学びましたことは、主イエスの弟子たちが安息日に麦の穂をつまんで食べたこと。そしてファリサイ派の人たちがそれを咎めたということを通して、安息日の中心は何なのかということでした。ファリサイ派の人たちが「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言ったのに対して、主イエスは旧約聖書のダビデの物語に拠りつつ、彼らに「人の子は安息日の主である」と語られました。今朝はその続きで、ここでもテーマは安息日です。キリスト者は、土曜日に守っていた安息日から、主イエスが復活なさった日曜日を礼拝の日にしたわけです。日曜日とはどういう日なのでしょう。「週の初めの日」と言ういい方があります。これは日曜日のもう一つの呼び方です。また「聖日」とう呼び方もあります。また「主日」あるいは「主の日」という呼び方もあります。主の日という呼び方がどこから生まれたかについては、いろいろな説があるようですが、ルカによる福音書6章5節の「人の子は安息日の主である」という主イエスの御言葉にあるという見解は有力です。弟子たちや最初のキリスト者は日曜日が来ると、いつもよりももっと早く起きて、信仰の仲間の家に集まって礼拝をしたのです。肉体は疲れていたに違いないけれども、集まった人々にとって、それはまことに深い安息を意味したに違いありません。喜びの時であったと思います。しかし日曜の朝の礼拝を一生懸命に守ったために、ついに迫害を受けて殉教した人もあったのです。そこには命をかけても守るべき深い安息があったのです。
もともと安息日は一週間の終わりの日でありました。働きの日々に続く休息の時であります。ところがキリスト者は日曜日に礼拝をするようになりました。主イエスがお甦りになった日だからです。そして、今朝私たちに与えられた御言葉は、その安息日において、真実の安息への道を拓かれた主イエスのお姿を語るのです。早速、御言葉の恵みに与りましょう。

聖なる集会の日
今朝私たちに与えられた旧訳聖書の御言葉は、レビ記23章1-14節です。ここには安息日にイスラエルの民は「聖なる集会」を行ったということが、レビ記第23章3節に記されています。すなわち「六日の間仕事をする。七日目は最も厳かな安息日であり、聖なる集会の日である。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。どこに住もうとも、主のための安息日である。」。ここで安息日は「聖なる集会の日」と呼ばれています。「聖なる集会」は安息日以外にも開かれ、イスラエルの民はすべての日常の働き、営みを脇に置いて「聖なる集会」に集まり、神を礼拝し、神が与えてくださった人生の喜びを祝ったのです。「聖なる」と呼ばれているのは、この集会が開かれる日が神のものであり、その唯一の目的が主なる神を礼拝することにあるからです。ですから「聖なる集会の日」である安息日の唯一の目的も神を礼拝することにあります。そのためにイスラエルの民は日常の仕事をすべて休んだのです。

右手が萎えている人
ルカによる福音書6章6節に「また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた」とあります。「ほかの安息日に」と言われているのは、今朝の箇所で語られている出来事が、その前の1~5節で語られていた安息日に起こった出来事、つまり弟子たちが麦畑で麦の穂を摘んだこととは別の安息日に起こったということです。それとは別の日の安息日に、主イエスは会堂にお入りになられて人々に教えておられました。そして会堂に「一人の人がいて、その右手が萎えていた」と6節にあります。「右手が萎えている」とは、おそらく右手が麻痺していたということでしょう。右手が麻痺している彼の日々の生活がどれほど困難に満ちていたかに思いを寄せることができます。右手が使えないことの困難さは、私たちの日々の生活においても時として経験することです。切り傷などで両手が使えない時の不便さは經驗して初めて分かることです。お箸とお茶碗を一緒に持つことができません。私たちが毎日当たり前のように行っていることを思い浮かべてみても、彼の日々の生活の困難さが、そしてそれがもたらす苦しみ、悲しみ、あるいは苛立ち、絶望を窺い知ることができます。
先週、私は講壇交換で川崎市にある栗平教会と言う教会で説教をしました。小田急の多摩線の栗平駅から歩いて5~6分で、住宅街の中にある教会で回りは住宅、マンションが多い環境でした。讃美歌を歌っている時に歌詞を読む声が聞えるのです。始めは何だろうと思ったのですが、後でご一緒に食事をした中のお一人が、確か十数年前に失明されたと言われました。男性の方でした。其の方が讃美歌を一緒に歌えるようにある方が歌詞を読み上げていたのです。大磯教会も讃美歌の声は大きい方だと思いますが、栗平教会の讃美歌を歌う声も大きかったです。力いっぱい賛美しているように思いました。失明しても賛美歌を精いっぱい歌いたいという願いを叶えていたのです。人生の途上に様々な障害を受けることがあります。体や精神の機能マヒを引き起こすことがあります。主イエスはどこでも癒されました。安息日に関係なく癒されたのです。
けれども、右手が萎えていた人は自分を癒やして欲しいと主イエスに願ったわけではありません。安息日の礼拝で、彼は自分の思いに囚われるのではなく、神のみ前で沈黙し、喜び、救いの恵みに与っていたのではないでしょうか。
一方、訴える口実を見つけようとしてこの礼拝には律法学者たちやファリサイ派の人々がいました。彼らは律法の戒めを厳格に守っていたので、言うまでもなく安息日には会堂で礼拝を守っていたのです。しかし自分の思いに囚われるのをやめて、静まって主イエスが語っている御言葉に耳を傾けていた右手が不自由な人とは違って、彼らは自分の思いで一杯一杯でした。7節に「律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた」とあります。ここで彼らが注目していたのは、主イエスが病を癒すことができるかどうかではなく、安息日に病の癒しを行うかどうかでした。「訴える口実を見つけようとして」とあるように、彼らは右手が動かないために不自由な生活を強いられている人が癒されることに注目していたのではありませんし、抱えている苦しみや苛立ち、絶望から彼が解放されることに関心があったのでもありません。彼らにとってこの人がどうなるかはどうでも良かったのです。彼らの唯一の関心は、主イエスが十戒の第四の戒め、安息日にはいかなる仕事もしてはならいという戒めを破るかどうかにあったのです。安息日に病を癒すことは仕事に含まれましたから、主イエスが癒しのみ業を行うことによってこの戒めを破るならば、彼らは主イエスを訴えることができたのです。このような彼らの姿は、「注目していた」という言葉にも現れています。彼らは戒めを破るかどうか悪意を持って主イエスを見ていました。その姿は、癒しを求めるでも望むでもなくただ礼拝を守っていた右手が不自由な人の姿と対照的です。彼らが、病にある人が癒されるかどうかにまったく関心がなかったにもかかわらず、訴えるために主イエスが癒しのみ業を行うことを待ち構えていたのに対して、本当に癒しを必要としていた病にある人は、自分が癒されることを望むのではなく神を礼拝していたのです。律法学者たちやファリサイ派の人たちは、神のものである安息日に自分の思いを休めるのではなく、主イエスを陥れようとすることばかり考えていたのです

ファリサイ派の悪意を見抜いて
彼らの主イエスはファリサイ派の悪意を見抜かれました。 主イエスが手の萎えた人に「立って、真ん中に出なさい」と言われると、その人は「身を起こして立」ちました。彼は会堂の端っこに座っていたのかもしれません。主イエスが彼に起き上がり会堂の真ん中にやって来るように言われたのは、これから主イエスが行われることを、主イエスが示される神の御心を会堂にいるすべての人に見せるためです。彼は、律法学者やファリサイ派の人たちとは異なり、礼拝で御言葉を語っている主イエスに心を真っ直ぐに向けていました。だからこそ主イエスのお言葉が与えられると、彼は直ちに迷うことなく「身を起こして立った」のです。

命を救うことか、滅ぼすことか
そして主イエスは、律法学者とファリサイ派の人たちへと目を向け、言われました。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」主イエスの問いに対する彼らの答えはなにも語られていませんが、彼らの答えはNOです。善い行いであろうが悪い行いであろうが安息日に何かを行うことは、「いかなる仕事もしてはならない」という戒めを破ることになるからです。彼らにとって安息日は何もしない日なのです。病を癒すことはもちろん悪いことではない、でも安息日には行ってはならないと言うのです。主イエスは、ファリサイ派の人たちのように「善を行うことか、悪を行うことか」という問いと、「命を救うことか、滅ぼすことか」という問いを別々のこととして切り離して考えません。主イエスにとって、「善を行うこと」は「命を救うこと」であり、「善を行わないこと」つまりなにもしないことは「悪を行うこと」であり、「命を滅ぼすこと」なのです。ですから安息日であっても、いえ安息日だからこそ主イエスは病を癒されるのです。右手が不自由な人の病を癒すことは彼の命を救うことであり、このことこそ神の御心にほかならないからです。神のものである安息日だからこそ、主イエスは神の御心を行い、その御心を会堂にいるすべての人に示されました。そしてこの神の御心が主イエスの十字架の死まで貫かれていくのです。11節には、この出来事の顛末を見てファリサイ派の人たちが「怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」とあります。怒り心頭の彼らが話し合った結果は穏やかなものではなかったでしょう。この時すでに主イエスには十字架の死が見据えられていたのです。もし主イエスが安息日に癒しを行わず、翌日に癒しを行ったのであれば、彼らが怒り狂うこともなかったし、物騒な話し合いも行われなかったはずです。けれども主イエスは、私たちの命を救うために十字架で死なれたように、右手の不自由な人を癒し彼の命を救うために、ご自分の命を危険にさらされました。私たちの救いに一日ぐらい遅くなっても良いということがないように、彼の癒しも、翌日でも良かったのではなく、安息日に行われることこそ神の御心だったのです。

救いに押し出される生き方
安息日の主であるイエス・キリストが与えて下さるまことの安息に生きることは、積極的に善を行い、命を救うことです。主イエスの救いにあずかる私たちは、十戒に代表される神の掟、戒めの本当の目的、神が何のためにそれを与えて下さっているのかを知って、その御心を積極的に行っていくことができるはずなのです。しかし私たちはともすれば主イエスの教えを、ファリサイ派の人々と同じような思いで受け止めてしまうことがあります。つまり、してはいけないことのリストを積み上げて、それを守ることが信仰であると勘違いをしてしまうのです。そこには、人から批判されることを恐れてばかりいるような、喜びのない、消極的な信仰生活しか生まれません。そのような間違いに陥るのは、不真面目な、いいかげんな信仰者ではありません。真面目な、一生懸命な信仰者が、しかしそういう人間の真面目さに常につきまとう、自分の業を拠り所とし、人と自分とを見比べて誇ろうとする思いによって、ファリサイ派的な信仰のあり方に陥るのです。それゆえに私たちは、自分たちが世間の誰よりもファリサイ派的な信仰に陥りやすい者だということをわきまえて、常に気をつけていなければなりません。主イエスの福音は、神と隣人を愛して、善を行い、命を救うことに積極的に喜んで生きることを生む教えなのです。私たちの安息日、主イエスの復活を記念するこの主の日の礼拝によって、私たちは積極的に喜んで生きる歩みへと押し出されて行くのです。

よろこびとさかえに満つ 
最後にこれから歌う讃美歌202番「よろこびとさかえに満つ」という讃美歌は、「主の日」あるいは「安息日」を歌った讃美歌です。作詞者は中世初期の詩人でもあり作曲者でもあるピエール・アベラールというフランス人の書いた中世カトリックの賛歌をジョン・メーソン・ニールがプロテスタントの讃美歌として翻訳したものです。1節にこうあります。
1 よろこびと さかえに満つ  主の日こそ われらの憩い。
つかれをも いやす神に  わが重荷 すべて委ねん。
その「主の日」は、単に毎週の日曜日ということだけではなく、神のもとの永遠の安息の日でもあるのです。元来は女子修道院の聖務日課のための土曜日の晩に歌うカトリック賛歌であったといわれます。まもなく始まる主の日を想うことが、同時に永遠の憩いへのあこがれに重なって歌われています。翻訳したニールの原詩にはヘブライ人の手紙4章9節が題詞としてのせられていますが、こういう言葉です。「そこで神の民のために休みが残されているのです」(欽定訳聖書)そこには「安息日の休み」に重ねて「永遠の休み」が暗示されています。私たち一人一人の人生の中で、突然訪れる危機。高齢になって自分で出来ることが次第に少なくなってゆく寂しさの中でも、主にある安息の日に礼拝を捧げる喜びを願うと共に、神のもとでの永遠の憩いを想う希望が与えられていることは喜びです。日曜日を聖日と呼ぶか、主の日と呼ぶか、安息の日と呼ぶかに関係なく、この日は礼拝を捧げ主の祝福の中にある喜びの日であるのです。

TOP