災害は神の業か
先週の説教でも地震の話しに触れましたが、また中井町を震源に地震がありました。東南海地震の不安が引き続きありますが、先週は台風にも振り回されました。一応礼拝堂の鉄の防火扉を4枚とも閉めましたが、結果として大したことはなかったのですが、長いはしごをかけてすだれを外して、台風が行ってからまた付け直し、防火戸を閉めるという作業も結構大変で、しょっちゅうだと大変だなと思いました。日本全国どこでも災害に見舞われます。また異常な暑さによる熱中症も最近は災害クラスです。しかし、戦争で苦しんでいる人々の悲惨さは更に過酷です。今朝私たちに与えられた創世記のソドム滅亡の記事もまた、滅亡の際の救われる者と滅ぼされる者の不条理をどう考えたらよいか。神が求めておられるのは何かに注目して御言葉の恵みに与りたいと思います。
ソドム滅亡の予告
創世記18章、19章には、罪の町として知られていたソドム滅亡の物語が記されています。かつて栄えたソドムの町が突然世界から消え去り、その後に巨大な塩の柱が残されたことを、当時の人々は不思議に思い、「ソドムは神に裁かれて滅ぼされた」との伝説が生まれ、その伝説を、創世記記者が、アブラハムとロトの物語として編集していったと推測されています。主なる神は「ソドムとゴモラを罪のゆえに滅ぼす」とアブラハムに告げられました。「罪のゆえに滅ぼす」、洪水物語と同じ言葉です。しかし洪水物語ではノアが残され、そこから人類は再び繁栄を取り戻すことが出来ました。アブラハムは「正義と憐れみに富むあなたが、何故ソドムを滅ぼすのですか」と抗議します。「アブラハムは進み出て言った『まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。アブラハムがソドムの運命に関心を持つのは、一つはソドムに甥のロトが住んでいた故と思われます。しかしそれ以上に、「神は悪人の悔い改めを待っておられる方だ」と信じるからです。アブラハムはソドムのために必死に主に問うのです。「『もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか』・・・アブラハムは重ねて言った『もしかすると、四十人しかいないかもしれません』・・・『もしかすると、三十人しかいないかもしれません』。・・・『もしかすると、二十人しかいないかもしれません』。主は言われた『その二十人のために私は滅ぼさない』」(18:27-31)。アブラハムは最後に語ります「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません」。それに対して主は言われます「その十人のために私は滅ぼさない」(18:32)。アブラハムはそこで止めます。ソドムの町には「正しい者が一人もいないであろう」ことを推察したからです。「主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った」(18:33)と創世記は結びます。
ソドム滅亡の伝承の背後に
ところで、ソドム滅亡について、主イエスも弟子たちも、それは神の裁きの結果だと認識しています。主イエスは言われます。私たちもまたソドムの住民であり、滅ぼされても仕方のない存在であるのに、神の憐れみにより生かされていることを知りなさいと、主イエスは言われているのです。もし、ソドムが神の裁きで滅ぼされたのであれば、「地震や災害等の天災は神が裁きとして起こされるのか」という疑問を私たちは持ちます。1755年11月に発生したリスボン大地震は、当時の教会に大きな衝撃を与えました。その日は主の日で、多くの信徒が礼拝に参加しており、信徒たちは破壊された聖堂の下敷きになり、さらに起こった津波で流されました。信仰に熱いカトリックの国の首都が、主の日の礼拝を捧げている時に、地震の直撃を受け、聖堂と市街地が破壊され、数万人の信徒たちが死んで行きました。人文学者ヴォルテールは「災害によってリスボンが破壊され、10万人の人命が奪われた、神はなんと無慈悲だ」と主張し、人々の信仰は大きく揺さぶられました。しかし、この時、地震は地球の地殻変動によって起きるのであり、神の裁きではないと主張したのが、哲学者のインマヌエル・カントです。このカントの理解を私たちも継承しています。現代の私たちも、「地震や津波や火山の噴火等はあくまでも自然災害であり、神の裁きではない」と理解しています。とすれば、ソドム滅亡を神の裁きと理解する創世記18章を私たちはどのように読むべきなのでしょうか。
物語が示す福音を見よ
創世記の記すソドム滅亡物語の主題は、ソドムの裁きと滅びではなく、その滅びの中からロトとその家族が救いだされたことにあります。何故ならば、神は裁くよりも遥かに大きく、救おうとしておられるからです。創世記記者は記します「ロトが正しい人であったからではなく、アブラハムがロトのために執り成ししたゆえに、主はロトを救いだされた」と。主イエスは自分を十字架にかけて殺そうとする者のために祈られました「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。これを聞いたローマの百人隊長は語ります「本当に、この人は正しい人だった」(ルカ23:47)。創世記の記すソドム物語の主題は、ソドムの滅びの中からでも、アブラハムの執り成しの祈りにより、ロトと家族が救いだされたことにあります。歴史上、多くの災害によって亡くなりました。なぜあの人が亡くなって、この人が生かされたのか、私たちにはわかりません。確かにそこには不条理があります。滅ぼされたソドムにも生まれたばかりの乳飲み子もいたでしょう、彼らも亡くなった、そこにも不条理があります。アウシュビッツ強制収容所を生き残ったエリ・ヴィーゼルはあるユダヤ人ラビに聞いたそうです「アウシェビッツの後でどうしてあなたは神を信じることが出来るのですか」と。するとラビは「アウシェビッツの後で、どうして神を信じないでいられましょうか」と答えたそうです。不条理をどう受け止めるべきか、わかりません。ただ言えることは、ソドム物語を通して、災害から救われ、生かされた命の中から、新しい命が生まれてきた、という福音がここに語られていることです。創世記18-19章の中心テーマはソドム滅亡ではなく、ロトの救済であったことを再確認する時に、私たちは過去に目を向けて生きるのではなく、将来を主に委ねて生きる力が与えられるのです。ロトは決して正しい人ではありません。19章後半を読みますと、酒に酔って酩酊し、助けだされた娘たちと交わって子を産ませるような失態を犯しています(19:33)。伝承ではこの子供たちが近隣民族のモアブ人、アンモン人になったとされています。しかし主はこのような罪の結果から生まれたモアブ人やアンモン人も祝福されます。モアブの婦人ルツからオベデが生まれ、オベデからエッサイが生まれ、そのエッサイの子がダビデです。ダビデの子ソロモンはアンモンの婦人ナアマを妻に迎え、そのナアマから跡継ぎのレハブアムが生まれ、その系図がイエス・キリストに繋がっていきます。つまり、イエスの血の中には、モアブ人の血も、アンモン人の血も流れているのです。
異邦人の百人隊長
今朝の新約聖書のみ言葉の舞台は1節にあるようにカファルナウムです。この町にいたある百人隊長から、主イエスのもとに使いが来たのです。百人隊長というのは、文字通り百人の兵卒たちを率いる隊長、つまり軍人です。百人隊長はユダヤ人ではない、異邦人です。この人が異邦人であるということが、今朝の箇所を理解するための一つの鍵となります。その百人隊長が、3節にあるように、ユダヤ人の長老たちを、主イエスのもとに使いとして送ってきたのです。ユダヤ人の長老たち、つまりこのカファルナウムの町の指導的な立場にある有力者たちです。彼らはどういう使いとして来たのでしょうか。それは、この百人隊長の部下が病気で死にかかっているので、助けに来て欲しいという願いを伝えるためでした。ここには「部下」と訳されていますが、使われている言葉は「僕」です。百人隊長にとってこの僕は大切な存在でした。その人が病気で死にかかっている。何とかして助けたいと思って彼は、当時評判になってきていた主イエスのお力にすがろうとしたのです。そのために、ユダヤ人の長老たちに頼んで口添えをしてもらったのです。
会堂を建ててくれた恩人
どうして異邦人である百人隊長のためにそんなに熱心になるのか、そのことが彼らの言葉から分かります。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです」。この百人隊長は、異邦人の軍人ですが、ユダヤ人たちの信仰に理解が深く、この町の会堂を建ててくれたのです。会堂というのは、ユダヤ人たちが集まって礼拝をする場所です。その会堂を建てたというのは、会堂の建設のために、少なからぬ献金を捧げたということでしょう。これは驚くべきことです。私たちも今、牧師館として会堂の増築工事をしようとしています。異邦人の百人隊長がユダヤ人のための会堂建築に多額の献金をする、それは言ってみれば、まだ教会員になっていない、私たちの言葉で言うと求道者である人が、教会の会堂建築のための資金の多くを献金してくれるようなものです。大磯教会の歴史を振り返って見ると、この礼拝堂は昭和10年に建築を計画し、昭和12年に完成し、献堂式を行なっています。日本が満州事変から太平洋戦争へと向かっている時代背景の中で、決して大きな会堂ではないとはいえ、これだけの教会堂を建てた先人たちの信仰の強さを想い、また、今も同じこの会堂で87年前の大磯教会員が、今と同じように、主を賛美し、説教を聞いていたことを想い感激するのです。そして、大磯教会の牧師館は、これから何十年も様々な人、牧師家族が住むわけですから、これだけはという広さの居住空間は欲しいと願っているわけです。大磯教会の礼拝堂建築のあるエピソードを紹介します。この会堂は、最初の設計ではもっと天井が低かったのです。当時、建築費用の関係でそうなったのかもしれません。工事の途中で、87年前の教会員たちは気が付いたのです。賛美歌やオルガンがよく響き、教会堂らしい天井の高さが欲しいと。しかし、資金がありません。その時、その窮状を知った、銀座教会の会員になっていた杉原錦江女史と正四郎ご夫妻が建築に協力してくださり今の天井の高さになることができたということが伝えられています。その協力がなかったらこの会堂の天井はもっと低くなっていたのです。ご夫妻は大磯教会の礼拝に出席されていたお医者さんですが、後に銀座教会や、当時の日本メソジスト監督教会全体のご奉仕をされた方々です。杉原錦江女史と正四郎ご夫妻は教会員でしたが、聖書が伝えるこの百人隊長の場合には、そうではありません。異邦人なのです。
ユダヤ人と異邦人を隔てる線
主イエスはその願いを聞いて彼らと一緒に出かけられました。ところが、百人隊長の家の近くまで来た時、今度はその友人たちがやって来て、「主よ、ご足労には及びません」と言ったのです。この百人隊長が考えていることは、6、7節の彼の言葉から分かるのです。彼はこう言っています。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました」。これが彼の思いなのです。「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」と彼は言っています。これは謙遜の言葉ですが、彼の謙遜の内容を正しくとらえなければなりません。彼が主イエスを家に迎える資格がないのは、彼が異邦人だからです。神の民であるユダヤ人の一員ではないからです。つまり彼が自分はふさわしくないと言っているのは、個人的な資質や信仰深さの問題ではないのです。見つめられているのはただ一つ、自分が異邦人で、神の民の一員ではない、ということです。ユダヤ教に改宗して、割礼を受け、律法を守る生活に入れば、生まれは異邦人でも、ユダヤ人の一人となることができたのです。しかし彼はそれをしていませんでした。異邦人という立場に留まりつつ、ユダヤ人たちの信仰に理解を示し、協力し、多額の献金までしていたのです。しかし彼は分かっていました。自分はどんなにユダヤ人たちの信仰を理解し、協力し、献金をしても、やはりユダヤ人ではない、主なる神の民の一人ではない、その外側をうろうろしているだけだ、ということをです。そしてそのような自分は、主イエスを家にお迎えできるような者ではない、主イエスの前に出るにふさわしくない者だ、ということを彼は深く知っていたのです。
活路を見出す
異邦人である自分と神の民とを隔てる一線を深く意識しつつ、それでも彼は主イエスに、自分の僕を病から救って下さるように願いました。彼は、主イエスこそ人を本当に救う力を持っている方だと信じていたのです。病気で死にかかっている僕を救うことができるのはこの方しかいないと確信しているのです。それで主イエスに「助けに来て下さい」と願ったのです。しかしこの主イエスによる救いを求める思いと同時に、異邦人である自分はあの一線のゆえに、主イエスをお迎えする資格がないばかりでなく、主イエスのみ前に出ることすらもふさわしくない、という思いが彼の中には共に働いています。その葛藤が、この一見矛盾するとも思える、また私たちの感覚では失礼だとも思えてしまう彼の行動に現れているのです。この葛藤の中で、彼は一つの活路を見出しました。それが7節後半です。彼は友人たちを通して主イエスに、「ひと言おっしゃってください。そしてわたしの僕をいやしてください」と願ったのです。この百人隊長は、主イエスのお言葉に望みを見出しました。それは彼が、主イエスの言葉の権威と力とを信じていたからです。主イエスがひと言お語り下さればそれは実現する、というみ言葉の権威と力への信頼を彼は抱いていたのです。このみ言葉への信頼のゆえに、彼はふさわしくない自分が主イエスの救いにあずかるための活路を見出すことができたのです。
み言葉の権威と力への信頼
彼はこのみ言葉への信頼をどうして得ることができたのでしょうか。彼は軍人です。軍隊の命は規律です。上官の命令通りに兵卒が直ちに行動する、という規律が成り立っていないと、その軍隊は役に立ちません。彼は日々そういう世界に生きているのです。そして彼は百人隊長です。
主イエスはこれを聞いて感心し、群衆に向かってこうおっしゃいました。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」。これは最大級の賛辞です。主イエスがこれほど手放しに人の信仰を褒めておられる言葉は他にはなかなか見当りません。主イエスは彼の信仰の何を褒めたのでしょうか。「これほどの信仰を見たことがない」とおっしゃった、「これほどの信仰」とはどのような信仰なのでしょうか。それは第一には、異邦人である自分は神のみ前に出るのにふさわしくない、と彼が真剣に考えていることです。つまり、神の民であるイスラエルと異邦人の隔たりを彼は真剣に受け止めているのです。その上で、しかし主イエスの救いを切に求めているのです。その葛藤の中で彼は、主イエスのみ言葉の権威と力を信じるという活路を見出したのです。主イエスのみ言葉がひと言語られれば、ふさわしくない者である自分たちもその救いにあずかることができる、という信頼です。主の言葉はひとたび語られれば、その使命を果たし、主のみ心を成し遂げる、むなしく消え去ってしまうことはない、という信頼です。
ふさわしくない者が
このように主イエスに褒められる信仰に生きた人が、異邦人の百人隊長だったことは何を意味しているのでしょうか。私たちがここから読み取るべきことは、信仰というのは、自分が神の救いにあずかるのにふさわしくないということをはっきりと知っている所にこそ与えられる、ということです。この百人隊長は、自分が異邦人であり、神のみ前に出てその救いにあずかるのにふさわしくない者だということを知っていたのです。だからこそ、み言葉の権威と力に信頼する信仰に活路を見出すことができたのです。逆にここに出てくるユダヤ人の長老たちは、自分たちがふさわしくないとは全く思っていません。むしろ自分たちが救いにあずかるのは当然だと思っているのです。そこには、み言葉の権威と力のみに信頼して救いを求めるという本当の信仰はありません。自分も他人も、それぞれのふさわしさによって救いにあずかれるように何となく思ってしまうのです。しかし本当の信仰は、自分が本来救いにふさわしい者ではない、という自覚のもとにこそ生まれるのです。
主イエスによって開かれた道
百人隊長はこのみ言葉の権威と力への信頼という信仰に活路を見出したと言いました。しかしこの活路は、彼が発見したと言うよりも、主イエス・キリストが開いて下さった道なのです。その主イエスが、救いにあずかるのにふさわしくない私たちの罪を全て背負って、十字架にかかって死んで下さったのです。この主イエスの十字架の死によって、救いにふさわしくない私たちの救いが、神の恵みによって実現し、与えられているのです。主イエスの十字架の死と復活による救いを知らされている私たちは、それを告げるみ言葉の持つ権威と力とを、この百人隊長以上にはっきりと知ることができます。そのみ言葉の権威と力にこそ、ふさわしくない罪人である私たちが、それでもなお主イエスの救いを求め、それにあずかっていく道が開かれているのです。
祈ります。