9/15説教「多く愛する者」

はじめに
先週は洗礼者ヨハネが荒れ野で人々に悔い改めを迫り、洗礼を授けたことを語りました。そして日本には岩だらけの不毛な荒れ野は無く、緑豊かな自然があると言いました。しかし日本ほど災害の多い国も少ないのではないかと思います。日本列島の太平洋側にはいくつもプレートが沈み込み、地震、津波の巣のようで、火山の噴火もあり、また台風の通り道で毎年、暴風雨災害、河川の決壊、がけ崩れもあります。先日の台風10号の影響による集中豪雨により身近な平塚・大磯・二宮・伊勢原・秦野に洪水、土砂崩れの被害が多くありました。いたるところに土のう袋が目につきます。地球温暖化の影響と思われますが9月中旬になっても真夏の高温が続いており、熱中症で運ばれる救急患者の数はうなぎのぼりで、これは今や災害級です。大磯教会の納骨室がある湘南キリスト教墓苑も先日の集中豪雨で豪雨被害が出ました。幹事教会として常に墓苑管理を奉仕してくださっている二宮教会のK兄から被害の状況が組合加盟の各教会に連絡があり、先日、墓苑の被害確認に行ってきました。集中豪雨により納骨室の入り口鉄扉の外に雨が溢れ納骨室の中にも入り込んだようです。K兄が納骨室の扉を開放して乾燥してくれたようで、確認に行った時は幸いいつもと変わらない状況でした。感謝です。ただ、キャンプ場を通って上る砂利の坂道には豪雨によって掘られた溝がまだ残っていました。長く話し過ぎました。早速、今朝与えられているみ言葉に耳を傾けていきたいと思います。

ファリサイ派のシモンが主イエスを宴席に招く
今朝はルカによる福音書7章36~50節を読みます。ここには、主イエスが、あるファリサイ派の人、その名前はシモンといったことが途中で分かりますが、その人の家に招かれて食事の席に着いていた時の出来事が語られています。そこには他にも何人かの人々が招かれていたことが、49節に「同席の人たち」がいたと語られていることから分かります。ファリサイ派の一人であるシモンが、自宅に宴席を設けて、そこに仲間のファリサイ派の人々を招き、そして当時神の言葉を語り伝える預言者であるとの評判が高まってきていた主イエスをも招いたのです。当時のユダヤ人たちの宗教的指導者であるファリサイ派は、律法を厳格に守り、またそのような生活を人々にも教え、指導することによって、ユダヤ人たちに神の民としての自覚と自負を植え付けようとしていました。要するに自分たちが熱心な信仰者であるだけでなく、その信仰と生活を人々にも伝え、人々を導こうとする伝道に熱心だった人々です。このファリサイ派は主イエスの言葉やみ業に対して既に何度かクレームを着けていました。律法を守ることについての彼らの主張と主イエスの言動とは相容れないものがあったのです。そういうある緊張関係を持ちつつ、しかし中にはこのシモンのように、主イエスを招いてその語ることを聞いてみようとする人々もいたのです。主イエスも、そういう招きに積極的に応じて、語り合おうとしておられたのです。

罪深い女がイエスのところへ
さて「この町に一人の罪深い女」がいました。彼女がどのような罪を犯したのか聖書には何も書かれていません。多くの人は、彼女は娼婦であったのではないか、と想像しています。とにかく、誰もが、あの女は罪深い人間だ、と思っていたのです。町の人たちの冷たい視線にさらされつつ彼女は生きてきたのではないでしょうか。その彼女が、主イエスがシモンの家に入って食事の席に着いていることを知りました。人の出入りの激しい宴席ですから彼女がシモンの家に入ることは難しくありません。そこで彼女は「香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに」近寄ったのです。これは私たちには読んで不思議に思う記述です。「後ろからイエスの足もとに近寄り」とはどういうことなのか。テーブルの下に潜り込んだのだろうか、などと考えてしまいます。しかしこの疑問は、当時の食事における座り方を知ることによって解決します。私たちは椅子に座って食卓を囲むイメージを持ちやすいのですが、当時、このような食事の際には、椅子に座って食事をしたのではなく横たわって食事をしました。低いテーブルを囲み、体の左側を下にして横たわり、左肘をついて上半身を支え足は後ろに伸ばし、自由な右手で食事を取って食べたのです。考えてみれば、私も幼い頃は畳で、足を折りたたみするちゃぶ台を囲んで座って食事をしていた記憶があります。先祖が遊牧民であったパレスティナの民はテント生活にその原点があるのかもしれません。
そこで彼女は「香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに」近寄ったのです。「香油の入った石膏の壺」を持って来たのは主イエスの頭に香油を塗るためでした。主イエスは横たわり、頭を食卓の方に向け、足を後ろに伸ばして食事をしていましたから、彼女が後ろから主イエスの足もとに近寄ったのは自然な動きです。しかしその後、彼女が取った行動は普通ではありませんでした。38節にこのように記されています。「泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。
宴会の席に参加していたほかの人たちの目には、彼女のこの振る舞いは異様なものと映っていたに違いありません。常軌を逸した行動と思われても仕方がないことを彼女は主イエスにしたのです。しかし主イエスは彼女の行動を妨げもしなかったし咎めもしませんでした。

主イエスを見定めるために
この女性の振る舞いをシモンは見ていました。彼女の振る舞いに主イエスがどのように応じるかも見ていました。なにもしない主イエスを見て、彼は心の中でこのように思ったのです。「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」。ファリサイ派のシモンにとって「罪深い女」は近づけてはならない人、遠ざけるべき人でした。まして自分に触れさせることがあってはなりません。彼は「主イエスが預言者なら、彼女を自分から遠ざけるに違いない」と考えていたのです。しかし主イエスは彼女のなすがままに任せました。だからシモンは主イエスが預言者ではないと思ったのです。彼が心の中で思ったことから、なぜ彼が緊張関係にある主イエスを食事へ招いたかが分かります。それは、主イエスが噂通りの預言者かどうか見定めるためだったのです。

骨まで朽ち果てる
「罪深い女」もシモンと同じように、主イエスについて人々が「大預言者が我々の間に現れた」と言い、「神はその民を心にかけてくださった」と言っているのを耳にしたのだと思います。彼女は自分の罪に深い苦しみを覚えていたのではないでしょうか。周りの人たちの冷ややかな視線の中で生きていく苦しみだけではありません。なによりも自分が犯した罪そのものが彼女に大きな苦しみをもたらしていたのです。罪への意識は、振り払おうとしても振り払うことができません。忘れようとしても忘れられません。それは、日々の生活の中で繰り返し襲ってきます。そこには言葉にならない苦しみがあります。今朝、共に読まれた旧約聖書詩編32編3節から
5節で、詩人は罪がもたらす苦しみについてこのように告白しています。
3わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。 
4御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。
5わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。
わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。
ここで「骨まで朽ち果てる」という印象的な表現がなされています。また、それは神の御手が昼も夜も重くのしかかっていたからだというのです。詩人は、自分の罪を神の目から隠そうとしましたが、彼の心は良心の呵責(かしゃく)をおぼえ、主なる神の前にすべてを言い表すに至って、ようやくその重い苦しみが取り除かれたのです。解放の喜びと自分の罪が赦されたという確信に立って、彼は他の人々に対し自分が歩んだ迷いの道について警告し、正しい道に導こうとするのです。主の恵みに逆らって心を閉ざすのではなく、心を開いて身をゆだねるようにと勧めているのです。
この詩人と同じようにこの「罪深い女」も、自分の罪のゆえに「絶え間ない呻きに骨まで朽ち果て」るほどの苦しみを抱え、神の御手が「昼も夜も」重くのしかかるほどの罪への意識に苛まれ、「夏の日照りにあって衰え果て」るほど生きる力を奪われていたのです。その彼女が人々の話を聞いて、主イエスのもとにこそ慰めと平安があると信じたのです。

五百デナリオンと五十デナリオン
シモンに向かって、主イエスは「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われ、譬え話を語られます。その譬え話が41節、42節にあります。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった」。そして主イエスはシモンに問われます。「二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」。シモンが「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えると、主イエスは「そのとおりだ」と言われました。一デナリオンは1日分の賃金に当たります。一方は500日分の賃金を、もう一方は50日分の賃金を帳消しにしてもらったのです。より多く帳消しにしてもらった方がより多く愛する、とシモンも認めました。この譬え話で比べられているのは「罪深い女」とシモンであり、二人が帳消しにしてもらったのは「借金」ではなく「罪」です。ファリサイ派のシモンより10倍の罪を赦された「罪深い女」のほうが、より多く愛すると言われているように思えます。譬え話を終えると、主イエスはその視線をその女性へと向け、シモンに言われました。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーヴ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた」。彼女の振る舞いに、主イエスは、ご自分への大きな愛が表れている、と言われたのです。そして主イエスはシモンに言いました。「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。多くの罪を赦された者ほど、より多く神を愛して生きるはずだ、と語ったのです。

罪の自覚と神への愛
そこで考えてみたいのですが、ファリサイ派のシモンは果して、自分が五十デナリオンの借金を帳消しにしてもらった者である、と思ったでしょうか。つまり主イエスが語られたこの話を自分のこととして聞いたでしょうか。聞いてはいないと思います。彼は、自分が神に対して、たとえ五十デナリオンであっても借金が、つまり罪があるとは思っていなかったでしょう。
つまりこのたとえ話は、あの人の罪とこの人の罪の大きさを比べて、こちらは五百デナリオン、あちらは五十デナリオンだ、ということを語ろうとしているのではないのです。私たちは日々新たに罪を重ねつつ生きているのであって、一生かかってどんなに頑張っても、自分でそれを償うことはできないのです。それでは五百デナリオンと五十デナリオンの違いは何を意味しているのか。それは、自分の罪をどれだけ認識しているかの違いです。しかし私たちは、そのことになかなか気づきません。自分が、自分ではとうてい返すことのできない負債を神に対して負っているとはなかなか思わないのです。私たちが自覚している罪、それが、人によって五百デナリオンだったり五十デナリオンだったりするのです。そして、私たちが自分の罪の深さを自覚する度合いと、それを赦して下さる、その負債を帳消しにして下さる神を愛する度合いは比例しているのです。自分の罪を深く知る人ほど、それを赦して下さる神の愛をより深く知り、自分も神を深く愛するのです。あるいは逆に、神が自分を深く愛して下さっていることを知れば知るほど、自分の罪をより深く知ることができる、と言うこともできます。最初は五十デナリオンぐらいだと思っていた自分の罪が、実は五百デナリオンだったことが、いや、さらにそれ以上だったことが、独り子イエス・キリストの十字架の死によって神が私たちの罪を赦して下さったことを知らされ、その神のとてつもなく深い愛を示されることの中で見えてくるのです。
加藤常昭牧師の説教集のこの箇所に、「主イエスは、この譬え話をなさりながら、ファリサイ派のシモンを招いておられるのではないか。私はそう思います。」と言っておられます。自分は罪があっても、せいぜい五十デナリオンで、まだましだと考えたり、罪のために涙するなどは自分には必要がないのだと思っているシモンに、その罪は五百デナリオンの罪にもまさるのだ、とそのことに気がつくようにと願っているのではないか。そして、それは私たちをも招いておられる言葉ではないかと思います。教会の原点はここにしかないのではないか。主イエスの愛に生かされ、そして主イエスを愛し抜くことができたひとりの名もなき女性の物語を自らの物語として語り続け、そのように生きることが必要なのです。
今、世界各地に争いがあるし、憎しみや不信、疑心暗鬼が私自身にあり、私たちの社会にあります。このような深い罪をかかえている私たちが、その罪を深く自覚し、嘆き悲しみつつ、その私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さった救い主イエス・キリストを信じて、そのみ前に跪き、涙を流しつつ主を礼拝し、主を愛し、主に仕えていく時に、主は私たちにも、「あなたの罪は赦された」「あなたの信仰があなたを救った。安心して、平和の内に行きなさい」と語りかけて下さるのです。祈ります。

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