はじめに
今朝の礼拝は、復活節第3主日の礼拝になります。そして、今朝与えられている御言葉は、先週に引き続きエマオでの出来事です。二人の弟子が、エルサレムを離れてエマオという村へ向かって歩いていた時に、同行した旅人、つまり主イエス・キリストが、二人に聖書全体にわたり説明されたのでした。そして一行はエマオの村で泊まることになったのです。今朝は、その後半の御言葉から聖書のメッセージを聴きます。
目が開け、イエスだと分かった
28節に「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。」とあります。目指す村はエマオです。二人の弟子はエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩いていたと、13節でルカは書いています。途中で姿がわからない形で主イエスが二人に同行したというのです。歩いて60スタディオンってどのくらいの距離なのだろうと思って、インターネットで調べたら、1スタディオンは約185mだそうで、60スタディオンだと約11キロぐらいです。因みに大磯駅から茅ヶ崎駅までを歩いたら9.3キロメートルあり、115分かかる、約2時間弱かかる計算です。そうするとエルサレムとエマオ村は、もう少し長いわけで、大磯の旧吉田茂邸のある城山公園あたりから茅ヶ崎駅ぐらいまでの距離ということになります。昔の人はそのくらい歩いたんでしょうね。この二人の弟子は主イエス本人から歩きながら2時間ぐらい聖書全体にわたり直接教えを受けたうらやましい弟子だったわけです。
道々聖書を語ってくれたあの旅人はなおも先へと歩み続けようとしていました。二人はその旅人に、もう夕方だから自分たちと一緒にこの村に泊まるように勧めたと記されています。「無理に引き止めたので」と29節に語られています。そして「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と懇願しました。もっと聖書の話を聞きたかったのかもしれません。その旅人は求めに応じられて「彼らと共に泊まるために、家に入ら」れたのです。その家は宿屋ではないでしょう。弟子の1人のクレオパという人の家ではないでしょうか。一説によるとこの二人の弟子は夫婦ではないかと云われていますから、あるいはそうかもしれません。そして、この二人と同行の旅人は夕食の席に着きました。その旅人は主イエスです。食事の席で、主イエスが「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」。するとその時、二人の目が開け、イエスだと分かったとあります。彼らはこの時ようやく、主イエスが本当に復活して生きておられることを信じることができるようになったのです。そこには、主イエスの復活を信じる信仰がどのようにして与えられるのかが示されています。つまり、二人の弟子が主イエスの復活を信じたのは、「主イエスは復活して生きておられる」という婦人たちやペトロたちから知らせを聞いたことによってではありませんでした。主イエスの復活を信じる信仰は、主イエスと共に食事の席に着き、主イエスが分け与えて下さるパンをいただき、食する、その体験の中で与えられたのです。主イエスの復活という奇跡も、頭の中で考えているだけではいつまでたっても本当に分かり、信じることはできないのです。生きておられる主イエスとの出会いと交わりの中でこそそれを信じることができるのです。
心が燃える体験
この二人の弟子が復活した主イエスと出会うためには、備えが必要でした。主イエスご自身が聖書を説き明かして下さったことがその備えとなっています。「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」(27節)とあります。そのことを振り返って彼らは、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合いました。聖書の説き明かしによって心が燃える体験をすること、言い換えれば、聖書の言葉が自分に対する神からの語りかけとして響いてくること、それが、主の招いて下さる食卓における主イエスとの出会いへの備えとなったのです。二人の弟子の心が燃えたのは、主イエスが、道々お話しになり、聖書を説き明かしてくださったからです。そうでなければ、二人の弟子の心が内に燃えることはなかったのです。聖書の説き明かしによって、主イエスが招いて下さる食卓における出会いへの備えがなされる、それは私たちの礼拝で言えば、説教と聖餐の関係を表しています。礼拝において、説教を聞くことと聖餐にあずかること、その二つが結び合う所に、主イエスとのまことの出会いが与えられ、復活して生きておられる主イエス・キリストと共に歩む信仰の生涯が与えられるのです。
初代教会の礼拝の様子
ルカによる福音書が伝えるこのエマオの話しは、「教会」の姿を現しているとも言われるのです。夕刻、エマオに着き、おそらく二人の弟子の1人、クレオパの家に到着したと思われますが。この二人の弟子というのは夫婦ではないか、という説もあると言いましたが、二人は主イエスを引き留めます。「お泊りください」、主イエスは招きに応じられる方です。「主よ、ここにお出でください」という祈りに応えてくださるのです。三人で共に夕べの食卓につく。ここで逆転が起こります。おそらくクレオパという弟子の家であろうと思われますが、ここでは主イエスがホストとなっているのです。主イエスがパンを裂き、そのひと切れづつを二人に分かち合う。これは初代教会の礼拝の様子を、そのままに映し出しているのです。初代教会の礼拝は夕刻に行われたのです。誰かの家に信者は集まり、持ち寄りの食べ物を食卓に並べ、分かち合って食べる。それが礼拝でありました。はじめに家の主人あるいは教会の世話人が、パンを取りこれを裂くのです。パン裂きが行われたのです。そして食卓に集っている一人ひとりに手渡す。十字架を思い起こす「パン裂き」が行われ、これが礼拝の中心でありました。食べ、飲み、賛美し、聖書を語り、祈り、最後に「主よ、ここにお出でください」と皆で唱和して礼拝は閉じられるのです。その有様を、ルカはエマオの物語の中で、物語として再現しているのです。教会は難しい教義がわからなければ信徒になれないわけではないのです。元々、信徒の誰かの家で、主イエスの十字架の贖いをパン裂きで想いを一つにして、食べ、賛美し、交わりを深める集団だったのです。
主イエスの姿が見えなくなった
ここで興味深いのは、31節「二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」とあります。「目が開かれる、すると見えなくなる」。それは一見すると矛盾することを語っているかのようですが、しかし、人間の感覚は、この言葉のようである場合が少なくないのです。見えているのに、見ていない。見えてないのに、見えているように感じる。視覚と脳の処理との乖離という現象があります。私たちは誰もが、目に見えることが事実と思っています。裁判での証人は目で見たこと、耳で聞いたことを証言します。見ていないこと、聞いていないことは裁判の証言者にはなれません。しかし、人間の目で見たこと、耳で聞いたことがすべて事実とは言えません。ある種の病気には幻視ということがあり、実際にはいない人がはっきりと見えることがあり、実際には無い音声や音が聞こえる幻聴という現象もあります。自分の話になりますが、前にもお話したことがありましたが、私が50代の時、黄斑変性という目の網膜の異常で、見るものが歪んで見え、電信柱が極端に曲がって見えたり、走っている車がつぶれているように見えるという症状に罹りました。驚いたことがありました。失明の可能性が大きい目の病気ですが、幸い視力が落ちて状況が悪かった右目は手術が成功し事なきを得たのですが、最近、左目がかなり進んできているのに少し困ってもいます。話しが反れましたが、しかし、ここでルカ福音書が語っていることは、どう理解したらいいのでしょう。こう理解することができます。二人の目が開かれ、主は確かに居られることが分かった、すると目に見えるかどうかは、彼らにとって問題でなくなったのです。ここにルカの一番の主張があるように思われます。「復活の主を見た、よみがえりの主が現れた」と弟子たちは口々に証言する。しかし問題は見たかどうか、ではなくて、今、よみがえりの主が共に居られ、生きて働かれているという事実そのものが大切なのではないか。エマオへの道で、「話し合い、論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、一緒に歩き始められた。しかし2人の目は遮られて、イエスだとは分からなかった」。しかし、確かに主イエスと分からないまでも、復活の主が近づき、一緒に歩み出されたのです。教会という所も、ひとり一人の人生もまたそういうものだというのである。私たちの希望は、まさにここにかかっているのです。イエスご自身の方から近づいてきて、一緒に歩き始められたのです。私たちは、このみ言葉があるから、毎日の歩みを、また一歩一歩、歩むことができるのではないでしょうか。私たちがどうであれ、主イエスが私たちの人生に関わってくださる。その信仰の恵みが私たち一人ひとりに与えられているのです。
復活を信じることの困難さ
復活を信じることが困難である一つの理由は、目の前にいる方が主イエスだと分かったとたんに、つまり彼らが主イエスの復活を信じたとたんに、そのお姿が見えなくなった、ということにあります。弟子たちは、復活した主イエスとの出会いは目に見える仕方で与えられましたが、その体験は継続しないのです。ペトロの場合もそうでした。彼も目に見える仕方で主イエスと出会いましたが、それからずっと主イエスと一緒にいたわけではありません。主イエスは彼の前から去って行かれたのか、あるいはエマオでの場合と同じようにそのお姿が見えなくなったのか、とにかく復活した主イエスとの出会いは一時のことだったのです。弟子たちは主イエスが逮捕されるまでは、いつも主イエスと一緒に行動し、寝食を共にしていました。しかし復活の後はそういうことはもう起らないのです。復活の前と後では、主イエスとの関わりにそういう違いが生じているのです。そしてこの復活後の主イエスとの関わりは、私たちが今体験している主イエスとの関わりに近いものです。私たちは、主イエスの復活と、その後の昇天、つまり主イエスが天に昇り、父なる神の右の坐に着かれた、その後の時代を生きています。つまり主イエスは目に見えるお姿としては地上を離れて天に昇られたので、私たちはこの世の歩みにおいて主イエスをこの目で見ることはないのです。目で見ることなしに、しかし主イエスが復活して今も生きておられ、天において父なる神の右の坐に着いておられ、聖霊の働きによって共にいて下さることを信じるのです。
主の語りかけを聞いて生きる
私たちは、聖霊のお働きによって、この目で見ることなしに主イエスを信じ、復活して今も生きておられる主イエスと共に歩んで行くのです。それが信仰者として生きることです。その信仰の生活は、三度三度の食事に代表される、日常的、具体的な毎日の生活の中で営まれていくのです。私たちの日常生活の真ん中に、復活して生きておられる主イエスが立って下さるのです。そして「あなたがたに平和があるように」と語りかけて下さるのです。その語りかけを聞くのは、日曜日の礼拝の場でだけではありません。それぞれの家庭、あるいは高齢者施設かもしれませんし病院かもしれません。その他様々な場における日々の具体的な生活の中で、復活して生きておられる主イエスは私たちに語りかけて下さり、共に歩んで下さるのです。その語りかけを聞き取る耳を養うために、日曜日、主の日の礼拝があると言ってもよいでしょう。礼拝においてみ言葉を聞いているからこそ、私たちは日々の、肉体をもって具体的に生きる生活の中で、主イエスの語りかけを聞き、主イエスの十字架の死と復活において実現している神の平和、祝福、救いを信じ、待ち望みつつ生きることができるのです。
恵の御業を語り伝える
今朝私たちに与えられた旧訳聖書のみ言葉は、詩編22編23から31節までですが、その一番最後にこのように記されています。
子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせるでしょう。
主をほめたたえながら語り伝えて生きる喜びが教会を造っているのです。聖書はその中で伝承され編纂されたのです。学者が書斎で生んだものではないのです。このような言葉を命とした教会の信仰が聖書を生み、一巻の書物として編み出し、私たちもこれを読むのです。そして、また私たちは、復活して生きておられる主イエスが、肉体の目には見えない仕方で共にいて下さることを信じて生きるのです。どのように暗い、困難な状況においても、目に見える現実には何の救いも助けも見出せないような中でも、私たちのために十字架にかかって死んで下さり、復活して今も生きておられる主イエスが共にいて下さることを信じ、その主イエスに依り頼み、そこに希望を見出すことができるのです。祈ります。