牧師著作

ラインホールド・ニーバーのキリスト教倫理

ラインホールド・ニーバーのキリスト教倫理

特にimpossible possibility(不可能な可能性)の概念を巡って

鈴木 憲二

序論

①本論文の目的

 今、日本は戦後七〇数年続いた平和の時代から、外交的に曲がり角に立っている状況の中で、日本の針路や、平和に対する考え方、社会のあり方をどのように考えるかを迫られているように思われる。一方、キリスト教会においては、キリストの福音が極めて個人的な救いに限定され、慰めを求めるだけになっている状況があり、その上、教派を問わず、教会員の高齢化、教勢が振るわない状況にある。そのような中で、ニーバーの社会倫理思想、とりわけその現実主義的な神学や政治判断は注目に値するように思われる。理想主義を掲げるだけで、現実的な対応をせず、実行力に欠ける者に対して厳しく迫る、現代の預言者とも言えるニーバーの生き方の中から見えてくるものがあるはずである。

 神の似姿として造られた人間は、神の知性と自由を反映する。不可能な中に可能性を見出す。失敗と挫折を繰り返しながらも、なおその中に可能性を見出していく。それが人間の歴史が歩んできた道である。それが、まさにニーバーのimpossible possibilityの考え方である。

 本論文の目的は、ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr 1892~1971。以下「ニーバー」)のキリスト教倫理の特徴を、主としてニーバーの著書『基督教倫理』(An Interpretation of Christian Ethics )iを通して明らかにし、その意味を考察することである。『基督教倫理』は、一九三五年に出版され、当時、「ニーバーの著作の中で最も内容豊富で、最近の文献のなかできわめて価値あるものである」と評された、明白な神学的枠組みを示し、新鮮な洞察と後のニーバー神学の基本となる主題を提示している著書である。この『基督教倫理』の中で、ニーバーは、自分のうちに芽生えつつあった道徳と社会に関するキリスト教の現実分析を、伝統的なキリスト教倫理思想を改めて受け止めなおし、基礎づけようとしたのである。この書におけるニーバーの主張の中心点は、預言者的倫理思想として特徴づけられる。そのニーバーの預言者的倫理思想を象徴しているimpossible possibility(「不可能な可能性」の意であるが、ニーバーの特徴的な表現であるので、以下、impossible possibilityと原語のまま使用する。

②ニーバーの人物像

 ニーバーは、二〇世紀アメリカの神学者・政治思想家・社会評論家である。一八九二年六月、ドイツ移民の父グスタフ・ニーバーの第三子、次男として、ミズーリ州ライトシティに生まれた。イーデン神学校を一九一三年に卒業。引き続いて二年間、イェール大学神学大学院および同大大学院に学び、一九一五年、ミシガン州デトロイトのベセル福音教会牧師に就任し、教会での奉仕に加えて、社会福音運動の活動家として、急速な成長を遂げつつあった産業都市においてさまざまな社会問題(労働、人種、社会福祉、平和等の諸問題)と取り組んだ。その後、ベセル福音教会を辞し、ユニオン神学大学院(ニューヨーク市)の教授陣に加わり、主として社会倫理学を担当、神学研究を深めるとともに広範な政治・社会活動を展開した。一九三九年、アメリカ人として5人目のギフォード講演者に招かれる。その講演は、ニーバーの主著と目される『人間の本性と運命』全二巻(The Nature and Destiny of Man, Vol.1 Vol.2)に結実した。その後、エキュメニカル運動に積極的に関わり、アムステルダムにおける世界教会協議会創立総会(一九四八年)の準備に奔走するとともに総会で講演者を務めた。

 政治的には、フランクリン・D・ルーズベルトのニューディール政策の熱心な支持者となる。晩年、公民権運動支持、ヴェトナム戦争反対に筆を振るいながら、一九七一年六月、マサチューセッツ州ストックブリッジで死去した。ii

 本論文では、ニーバーのキリスト教倫理思想をimpossible possibilityの概念から浮き彫りにすることを試みる。

 またニーバーの倫理思想と政治思想に重要な役割を果たしている「預言者宗教」の思想はどこから来たのか。それを紐解く手がかりを、本論文では、ジョン・オーマンの「預言者的宗教」の思想にあるという仮説を立てて考察する。ニーバーは、この預言者的超越の視点から、アメリカの楽観主義的リベラリズムの伝統に対して、敢然と立ち向かったのである。iii

 ニーバーは牧師でありユニオン神学大学院の教授であったが、その表現活動はキリスト教思想を神学の領域にとどめるのではなく、多方面にわたり行動し,思索し、著作した現代の預言者と言われる思想家であった。

1 impossible possibility(不可能な可能性)の概念

①預言者宗教について

 ニーバーは、『基督教倫理』第四章に、まず、預言者宗教について論じている。

 ニーバーの関心は、宗教の生み出す倫理的豊かさを取り戻すことに向けられていたが、そのカギは、宗教が歴史的なるものと超越的なるものとの弁証法的緊張をはたしてどこまで堅持していくことができるのか、という問題であった。

 ところで、ニーバーが預言者思想に触れるとき、その視点は、紀元前八世紀の預言者、アモス、イザヤ、ミカ、ホセアなどが念頭に置かれている。紀元前八世紀のアモス以降の預言者たちは民族を越えた視点に立ち、いわば倫理的普遍性を強調した預言者たちであった。ニーバーによれば、預言者思想のもつ深い意味は、創造主にして隠れた神の超越が、人間の可能性を越えたものとして明確化された点にある。そして、具体的な歴史状況の中で、神の超越は明確であるが、歴史の真実なる問題は、人間のすべての試みに不可避的に付随する傲慢な装いにあると理解した。iv

 この預言者思想の観点から見ると、ほとんどすべての歴史的状況において、正義と不正、善と悪とは、相互に入り混じっており、すべての国家、すべての民族、すべての集団が、何らかの仕方でことごとく神への反逆に巻き込まれており、神の律法を踏みにじっているのである。その認識を、ニーバーは『基督教倫理』の中で次のように主張している。

集団的正義のすべての標準は、有機的に一方では原始的復讐に結びつき、他方では赦しの愛の理想に結びついている。人間社会がいかなる程度まで尚この理想に接近し得るか、その絶対的限界を定めることは出来ない。しかしあらゆる成功はみな近似値の領域に止まるということは確かである。理想はその完全なるかたちにおいては人間の性質の能力を越えるものである。道徳的理想並びに社会的理想は、その純粋性の見地から言っても、その応用の広さの見地から言っても、常に一連の無限なる可能性の一部である。v

 以上、預言者思想について述べたが、ニーバーは、人間実存の支配的現実、究極的根拠、力の源泉としての神の超越をダイナミックな仕方で理解しようとした。千葉真氏はその著『現代プロテスタンティズムの政治思想』の中で、ニーバーの超越観を弁証法的超越(dialectical transcendence)として理解し、ニーバーは、神と世界、神の審判と憐れみの間の弁証法的緊張に照らして超越の概念を明瞭化することを試みたとする。viまた、高橋義文氏はその著『ラインホールド・ニーバーの歴史神学』の中で、ニーバー神学の特徴である預言者思想の契機は、イーデン時代の恩師プレスに学んだ「アモス書」の講義の影響が重要な意味を持つとの指摘、そして、ニーバーがアメリカ中西部のドイツ移民を主とした福音教会という辺境の教会に生まれ育ったということそれ自体が、ニーバー神学に「超越的視点」をもたらした「社会学的要因」とも見られると指摘し、この「超越的視点」はニーバー神学の際だった特質であるとする。

②ジョン・オーマンの預言者的宗教

 ニーバーは、預言者宗教に関して、自著『基督教倫理』において、ジョン・オーマンに触れて次のように述べている。

 ジョン・オーマン(John Oman)viiは、「黙示的宗教という言葉は神秘的宗教という言葉と対照して用いられおり、およそ自然において超自然の顕われるのを待つ宗教をいう」とい言っている。viii

 ニーバーが引用しているジョン・オーマンの『自然的秩序と超自然的秩序』ixから預言者的宗教について引用する。

ヘブライの預言者たちが、が最初の真の唯一神教者たちであったということは、通常彼らの最高の業績であると評価される。彼らは最も暗黒な人生の災いに対抗することを得させられたという、効果的意味においてのみ、唯一信仰者たちであった。言い換えれば、彼らの唯一神教と彼らの和解の教説とは同一である。

 超自然的秩序の啓示は自然的秩序への和解によるものであった。そしてこの和解は、自然的秩序において超自然的秩序の意味と意図とを了解することによって可能になった。x

 また、ジョン・オーマンは、更に預言者的唯一神教の本質について、同書で次のように言うのである。

 いかなる災いも、人生が唯一の道義の領域であり、また経験が唯一の信仰の勝利の領域であることを妨げることはできないというこの確信は、この預言者的唯一神教の本質的勝利であったのであるが、これは今もなおすべてのものにありまたすべてのものの上にある唯一の神の真実の確信の唯一の根拠である。xi

 以上のジョン・オーマンの思想は、ニーバーの預言者宗教の概念にかなり類似している。
黙示的宗教は、「およそ自然において超自然の顕われるのを待つ宗教をいう」というオーマンの言葉を『基督教倫理』の中で紹介しているニーバーは、自然的秩序と超自然的秩序との関係を考察した同書から相当の影響を受けて、自らの思想を構築したとも言いうるかもしれない。

③ニーバーの神学思想を育んだイェール大学神学部時代

 ニーバーの預言者宗教および現実主義の神学思想は、本論文のテーマであるimpossible possibility概念に深く結びついているのであるが、その思想的取り組みはどのようになされたのかは興味のあるところである。オーマン『自然的秩序と超自然的秩序』からの影響もその一つであるが、 ニーバーの預言者思想の形成には、幾つかの興味ある事実がある。まず一つは、イーデン神学校時代の恩師サムエル・D・プレス(Samuel D. Press, 1875-1967。以下プレス)との出会いが挙げられる。

 プレスは、イーデン神学校で、四三年間教師として、そのうち後半の二一年間は学長として、文字通りその身を神学教育に捧げた人であった。特にニーバーがイーデン神学校に学んでいた頃、ニーバーにとって、最も印象的であり、多大の影響を受けたのは、「アモス書」の講義であった。

 ニーバーにとって、このアモス書に関するプレスのゼミは彼に生涯変わることのない印象を与えた。後年ニーバーはプレスのために開かれた晩餐会で「すべての神学はアモスに始まる」と語っている。xiiその意味は、アモスが新しい倫理的・宗教的次元のメシアニズムを告知したことにある。アモスの使信は、同時代のメシアニズムを厳しく批判するものであった。すなわちアモスが告知した神は、イスラエルの民族神ではなく、したがってイスラエルの利益を超越する神であり、アモスが預言した審判は諸国のみならず神の選民イスラエルの上にも下るものである。こうしてアモスの使信は、メシアニズムの歴史におけるコペルニクス的転回のテコとなるのである。xiii

 次に、ニーバーの思想に大きな影響を与えたのは、イェール大学神学部および大学院で学んだ時代である。その時代の神学的取り組みが、後の『基督教倫理』において、より発展した形で主張されているように思われるのである。

 ニーバーがイェール神学大学時代、力を傾注した学びは、主として宗教哲学わけても認識論の領域であった。B.D.論文はまさに認識論の問題であった。イェールでのニーバーは、宗教哲学に相当程度集中したのである。ニーバーにとって、ここでの二年間が、短期間ではあったが、否むしろそうであったがゆえに、文字通り寸暇を惜しんで勉学に勤しんだ。それは、神学的訓練の時代に属する期間であり、ニーバーの生涯にわたる創造的な思想的格闘が、このイェールで確かに始まったこと、しかもそれは、後のニーバーに間接ながら意義深く関係するかたちで始まったことは間違いがない。

④impossible possibilityの一般概念

 一般概念として「不可能な可能性」という意味はどういうことであるか、ここで確認しておきたい。

 『デジタル大辞泉』によれば、「可能性」とは、①物事が実現できる見込みであり、②事実がそうである見込みであり、③潜在的な発展性である。

 哲学用語としては、『大辞林』によれば、「可能性」(possibility)の意味は、物事の現実の在り方(現実性)に対して、できうる(ありうる、考えうる、能うる)在り方。事柄・知識・能力などの、今実際にそうではないが、そうでありうる範囲・程度のことということになる。

 そこで、哲学思想として、特にそれに触れているフランスの哲学者ジャック・デリダの主張する「不可能の可能性」概念を、上利博規著『デリダ』 によって見ておこう。xiv

 デリダは、説明することによって何かに決着をつけようとはぜず、逆に、明白であると思われることをぐらつかせ、そこに決定的不可能性を探りあてようとするのである。「不可能の可能性」というアポリア(出口なし)について思考すること、これがデリダの思想の核心である。デリダは、「不可能の可能性」の経験こそが、倫理的・政治的責任を負うよう人に呼びかけ、人はその呼びかけに応えようとして倫理的存在となると考えた。xv

 デリダ哲学における、〈不可能の可能性〉、あるいは、不可能であることを通して可能性が開かれることとして我々が特徴づける、「信」の問題の発展の過程を、デリダ哲学を貫く一筋の問いとして、この概念の形成を浮かび上がらせる目的で論じている。更にデリダ哲学は、「赦し」の概念を、具体的な例や状況を挙げて様々な角度から論じ、そこにおいて「不可能なものの可能性」という構造を浮かびあがらせて、次のように述べている。

 赦し得ないものは赦すことができないということは、それ自体は自明で全く矛盾のない論理である。「修復し得ないものに対する修復はない」。不可能なものは可能ではないとするこの論理は、明快そのものである。しかし、デリダは、逆の論理を展開する。「赦し得るものしか赦さないような赦しとは、何であろうか」(『信と知』、FS112)。その箇所から少し遡った箇所では、彼は次のように言っている。「そうだ、確かに、赦し得ないものがある。それこそが、本当に赦すべき唯一のものではないだろうか」。かくして、デリダは以下の決定的な句を放つことになる。「赦しは赦し得ないもののみを赦す」。

 このことは、赦し得ないものが赦し得るものに転じる、あるいは、不可能なものが可能なものに転じるということを意味しない。また、我々の赦すという権能が拡大し、我々が他者の過ちの重大さに対して過度に寛大もしくは無感覚になるということを意味するのでもない。逆に、赦し得ない過ちは、いつまでも赦し得ない過ちであり続ける。赦すことができないというその不可能性が不可能としてあり続けるからこそ、デリダによれば、赦しは可能なのである。

 しかし、それでも新たな問いが生じる。誰が赦すことができるのか。あるいは正確にいうならば、誰が赦す権利を持っているというのか。デリダはここに、赦しが、キリスト教の根付いた西洋の歴史において、しばしば「神」に求められる理由があるとする。

 デリダ哲学における、「不可能の可能性、あるいは、不可能であることを通して可能性が開かれる」という思考、そして、「赦し」についての思考、「赦し得ない過ちは、いつまでも赦し得ない過ちであり続ける。赦すことができないというその不可能性が不可能としてあり続けるからこそ、デリダによれば、赦しは可能なのである。そのような考え方はニーバーに通じるものが読み取れるのである。ニーバーのimpossible possibility概念に通じるものがある。

2 アガペーとエロースとimpossible possibility

①愛の律法と神の像

 ニーバーの愛の議論であるアガペーとエロースの理解を、impossible possibilityの概念から明らかにする。ニーバーによれば、罪人である人間には、真の愛(アガペー愛)という愛の要求は、歴史の中では具現化することのない成就不可能なものである。

 ニーバーは、当初、アメリカに特有の楽観主義に対してマルクス主義を足場に批判してきたが、その過程で鮮明に浮かび上がってきたものが、社会悪は人間の実存に起因しているという発見であった。そして、その問題を深く掘り下げていく中で、課題が浮かび上がってきたのである。それは、人間の罪と神の恩寵についての罪責理解であるが、ニーバーはこう主張する。自分の分際をわきまえないで、自分以上のものになろうとする自己欺瞞こそが、聖書が語る罪の実質的内容である。そして、この視点からニーバーはアダムとエバの堕罪物語を、罪の源が人間の実存そのものの中にあることの指摘にあるとニーバーは結論づける。xvi

 そこでニーバーは、個人がその罪を悔い改め、集団がその欺瞞性を反省することは可能なのかを問うのである。ニーバーは、その可能性を徹底的自己放棄としての犠牲愛(アガペー)に見るのである。「持ち物を売り払い、貧しい人々に施す」(マタイ19・21)ことのみを考え、「敵を愛し、迫害する者のために祈る」(マタイ5・44)ことを命じる非妥協的な愛の啓示こそ、イエスの十字架が意味するものなのだとニーバーは解釈するのである。

 ニーバーのimpossible possibilityの概念は、人間の罪と、「不可能な可能性」としての神の恩寵について語っているのである。神の超越性とは、ニーバーにとって、それはいかなる意味においても時空を越えた無時間的なものではなかった。なぜならば神は歴史を無限に超越しつつも歴史に深く内在しているからである。ニーバーはこの神における超越と内在の緊張関係を、「不可能な可能性」(impossible possibility)という言葉で説明しているのである。xvii

②神の像としての愛

 ニーバーは、アガペー愛の要求は、「直接的な可能性ではなく、究極的な可能性」をあらわすものだとしている。言い換えればアガペー愛の成就は終末論的可能性なのである。

 ニーバーによれば、アガペー愛の成就はまた、「単純な」不可能でもないという。ただ単なる不可能な事であるとしたら、アガペー愛の要求は罪人にとって何の関係もなくなり、したがって原初的義(justitia originalis)が今なお人間の中に残存していると主張することの重要性も失われてしまうのである。それゆえ、ニーバーは繰り返し神の像としての原初的義を主張し、「全的堕落」の教理を批判するのである。xviii

 また、impossible possibilityは次のことを意味する。歴史においてわれわれのアガペーを達成しようとする努力は、すべて「近似値の領域に止まる」宿命にある。「理想はその完全なるかたちにおいては人間性の能力を越えるものである。」その意味においてアガペーは不可能である。しかしアガペーは人間の歴史における善の可能性の限界を指摘すると同時に、今まで以上により生産的、創造的、善的なものに近づこうとする意欲と熱意を喚起する。人間はこれで十分であると思う時自己充足的傲慢に陥るが、自己の可能性をたえず超越する力に目を向ける時、自己満足的、現状維持的態度から解放され、より大きな可能性に向かって自己変革することができるようになる。その意味でアガペーは可能性である。アガペーの弱さは同時に強さであると言う逆説がここに成立する。「神の弱さは人間よりも強い」のである。すなわち、impossible possibilityとしてのアガペーは、信仰を持つ者にとって、絶望が絶望に終わらずに、神の赦しによって悔い改めへと昇華され、現実の真只中で生き生きと生きることを可能にする力なのだとニーバーは言うのである。xix

3 終末論とimpossible possibility

①歴史の終わり

 ニーバーのimpossible possibilityは歴史の文脈では終末論に現れている。ニーバーにとって終末論は、歴史解釈に不可欠のものであり、その中心的な重要性を持つものである。ニーバーは、自著『人間の運命』の中で終末論について次のように述べている。

 人間の生と歴史におけるあらゆるものは、終わりに向かって進んでいる。人間は自然と有限性のもとにあるゆえに、この「終わり」は、存在するものが存在することを止める一時点である。すなわち、「フィニス」(finis)[終焉]である。一方、人間には理性的な自由があるゆえに、「終わり」は別の意味を持つ。それは、人間の生と活動の目的であり目標である。すなわち、「テロス」(telos)[目的]である。フィニスでもありテロスでもあるという、終わりについてのこの二重の意味合いは、ある意味で、人間の歴史の性格全体を表すとともに人間存在の根本的な問題をも明らかにする。xx

 歴史は相対的世界であり、そこに生み出されるいかなる生産的、創造的行ないや活動も罪の汚れを宿さざるをえないという現実をニーバーは凝視した。しかし、それと同時に彼の信仰の眼は、罪だけではなく罪が「悲劇を越えたところで」(Beyond tragedy)神の審きと慈しみによって止揚され、人間の生きる目的が「歴史を越えたところで」(beyond hisyory)成就される終末論に向けられている。時間の終結(finis)が歴史の終結であるとする世俗的歴史観と異なり、歴史はその究極的目的(teros)を神から与えられており、神によってその目的は成就されるのだという聖書独特の歴史観にニーバーは忠実たらんと努めたのである。つまり、人間の罪を直視してなおかつ歴史を創造的に生きることは、歴史の意味が歴史を越えたところで成就されるという終末論的信仰をその基盤に持つことによって可能であるというのである。それゆえに、歴史の意味は、理性や知識によってではなく、信仰によって発見され、把握される、とするニーバーの考え方が現われている。xxi

 ところで、ニーバーの歴史の捉え方は、イエス・キリストの第一の到来と第二の到来(再臨)を共に真剣に受け止めている。「実現された終末論」と「未来的終末論」の二重で弁証法的な終末論ということになる 。この点においてバルトとは違っている。バルトの終末論は、現在から未来へという水平的次元においてではなく、神から人間へ、永遠から時間へ、「上」から「下」へという垂直的運動方向を有する超越論的終末論である。

②ニーバーの終末論の基本的構造

 ニーバーは、終末論を新約聖書に見られる三つの終末論的象徴すなわちキリストの再臨、最後の審判、復活で説明している。新約聖書に見られるキリストの再臨という象徴は、最後の審判と復活の象徴を内包する支配的な終末論的象徴である。そして、ニーバーの終末論の構造の観点から重要な点は、「キリストの再臨が歴史の終わり(end)に位置している」ということである。これは歴史的過程の中にあって実存的に体験される「終り」であり、「再臨」であり、「勝利」である。それは言うまでも無く、端的にキリストと十字架の出来事に対する信仰を示しているのである。この意味における再臨の在り方は、歴史的な過程の中に歴史の完成があるとするユートピアニズムに対して、「歴史の最終的な完成は、歴史的な過程を越えたところにある」という立場を主張しているのである。

4 カール・バルトとの論争とimpossible possibility

①論争の背景と経緯の概要

 ニーバーとバルトの論争に於ける最初の舞台になったのはアムステルダム会議である。この会議は一九四八年八月二二日から九月四日まで、オランダのアムステルダムで開かれたのであるが、それは「世界教会協議会」(The World Council of Churches)の第一回総会としてであった。それは一九一〇年以来行われたエキュメニカル運動の結晶とも言うべきものである。

 ニーバーとバルトの論争の経緯については、有賀鐵太郎『バルトとニーバーの論争』に詳しいので詳細はそこに譲る。

 アムステルダム会議は一九四八年に開催されたが、それに先だって、一九四六年二月、ジュネーブにおいて準備委員会が開かれ、アムステルダム会議の主題を「人間の無秩序と神の計画」と定めたのであった。

 会議準備のため研究委員たちによる事前研究が進められ、その報告が会議における討論の基礎とされたのである。ところが、開会早々に発言したバルトがまず問題としたところは「人間の無秩序と神の計画」という主題そのものについてであった。その爆弾的ともいうべき彼の批判は議場において様々な逆非難を促したようである。ニーバーはアムステルダム会議でのバルト講演に関して彼自身の批判を『クリスチャン・センチュリー』誌に寄せ、バルトが更にこれに答え、ニーバーがまた応酬している。xxiiこれが世に言うバルトとニーバーの論争である。

②ニーバーとバルトの論争

 アムステルダム会議においてバルトが行った基調講演「キリスト教的マーシャルプランはありえない」の講演においてバルトは冒頭次のように語る。

 我々の主題は「世界の無秩序と神の計画」である。先ず私は、我々がこの主題を全体としても、またその全ての様相に於いても取上げる際に、この順序を逆にしてはならないかどうかを問うてもよいであろうか。・・・

 神の救済の計画は上なるものである。世界の無秩序とそれの原因についての我々の様々な観念、従って又それに対処する我々のもくろみや計画等は、すべて下なるものである。この一切の下界の(我々自身の教会的存在を含めて)有する意義は、もし我々に明らかにされうるものとすれば、ただ上からのみ、即ち神の計画の視野からのみ、我々に明瞭となってくるのである。これに反して、世界の無秩序とそれについての我々のキリスト教的な分析や仮定からしては、神の計画を見出し、それに導きゆく如き見解も方法もありえない。我々は我々の如何なる部門に於いても下から始めようとしてはならない。xxiii

 バルトの講演の主眼は二点に絞られる。第一は、会議の主題であった「世界の無秩序と神の計画」に触れて、人間の計画や営みは、「ただ上からのみ、すなわち神の計画の視野からのみ」なされるべきであって、決して「下から始めようとしてはならない」という確認と強調である。第二は、「この無秩序のただ中にあって、教会の預言者的任務は、神の国を正義と平和の王国として指し示すことである」との指摘である。

 以上のバルトの主張に対して、ニーバーは多くの問題を感じ、会議後、「われわれは人間であって神ではない」という表題の論文をもってバルトを批判した。ニーバーはその疑問を三点提出する。

 一つは、バルトの主張が「キリスト教的生活から責任意識を奪う傾向がありはしないか」ということであり、二つは、「悔い改めに対する適切な強調」をすることなしに勝利を語るようなことをしていないかということであり、三つは、日々の任務と責任に対して「無責任な仕方で」関わるようなことになりはしないかということである。こうした疑問をいだかせる源は、ニーバーによれば、バルト神学の「著しく終末的な」性格にあるという。xxiv

 ニーバーは、バルトに対して、教会には「神と共に働く者」として歴史に参与する「予言者的役割」があるはずであると考え、「正義のあらゆる形態の限界と可能性がともに探求されなければならない」と主張する。

 以上のニーバーの批判に対して、バルトは反論を寄せ、その批判に論駁する。すなわちバルトは、われわれは、常に「神の救済計画から、真実に出発しなければなら」ず、そこからしてはじめて「われわれの直面する問題に肉薄していくことができるということが言いたかった」という。要するにニーバーの批判は的はずれであるということである。

③論争の結論

 アムステルダム会議の後に起ったニーバーとバルトの論争は、キリスト教思想の根本に関わる問題を含んでいる。バルトが指摘したことの一つは、福音は歴史とは一応分けて考えなければならないという点である。両者をあまりにも密接に結びつけ、神を内在的にだけ見て、歴史のプロセスを神的・人間的目的実現への進歩と考えた楽観主義的進歩思想は、その実証主義的な形においても理想主義的な形においても、宗教的信仰を曲解し、また歴史的現実にも不忠実であるということである。そして、バルトが「キリスト教的マーシャルプランはあり得ない」の中で「神の計画」について、次のように主張している。

 「神の計画」とは、この世に於ける教会の存在、世界の無秩序との関係に於ける教会の事業、人間生活改善の手段としての教会の外的、ならびに内的生活、更に最後にこの活動の結果として全人類をキリスト教化し、遂に全地球を覆う正義と平和の秩序を打ち立てるということを意味していない。即ち「神の計画」とはキリスト教的マーシャルプランの如きものを意味しないという事を知るべきではないか。という問題である。xxv

 バルトが提起した問題に対して、ニーバーが「我々は人間であって神ではない」の中で応えた次の主張が、二人の論争の争点を明確にしている。

 大陸神学の立場を最もよく特色づけるのは、著しく終末論的であるという事である。この事は元来、キリストの再臨、最後の審判、及び万人の復活に於いてこの世の歴史が最極点に達するとの望みを強調するという事を意味しない。もしも大陸神学の立場が終末論的であると名付けられるならば、それは「現在的終末論」realized eschatologyという形態をとれるものと見なすべきである。

 アムステルダム会議に於いて起った問題は、かかる信仰箇条から引出された結論についてであった。

 ニーバーとバルトの論争は、最終的に決着を見たとは言えない結果となったが、政治と聖書の権威に対する彼らの態度に長年にわたって存在した違いを明らかにしたのである。

 そして、ニーバーは、戦後世界の混乱した危険な状況を概括した上で、教会の責務は、神の審判と恩寵を、個人を初め国家・階級・文化に媒介することであると主張した。そして、福音を、「永遠の相のもとで、あたかも時間と季節を有する歴史が無いかのように」説教することは間違いであると断言した。

 また、講演のクライマックスで、ニーバーは、次のように述べた。

 人間の無秩序に対する究極的な勝利は、神のものであってわれわれのものではない。しかしわれわれは、究極的勝利に向かって接近する究極以前の諸勝利」には責任がある。われわれの共同体や国家や文化の健全さを守ろうとする高い責任意識を伴わないクリスチャン生活は、不寛容な他世界性に堕してしまう。われわれは、この地上の家郷を否定することもできないし、地上の勝利や敗北がわれわれの存在の究極的な意味であると主張することもできない。

 アムステルダム会議後のバルトとの論争には、ニーバーのimpossible possibilityの視点からの立場が良く出ている。社会倫理に対するニーバーの特徴が、バルトとの対比によってより鮮明になった。

 ニーバーは、神とは歴史を無限に超越しつつも歴史に深く内在されるというこの神の超越と内在の緊張関係を、impossible possibility(不可能の可能性)という概念で表現している。人間は、自分の自己満足的態度を悔い改め、新しい可能性の模索へと歩みを進めることができるのである。たとえ近似値の領域に留まるとしてもである。愛の完全な遂行は不可能であることを認識しつつも、より高い可能性に向かって歩みを進める人間の生き方を可能にする力を、ニーバーは「恩寵」と呼ぶのである。

5.結 論

 本論文において、ニーバーの倫理の特徴について、impossible possibilityという概念を常に念頭において思索してきた。ニーバーは、キリスト教リベラリズムに対して神の超越性を強調し、人間とその歴史の意味を掘り起こす思索的座標軸を預言者宗教に見出した。そして、アガペーの超越性と相互愛の緊張関係の中で、更に、歴史の意味が歴史を越えたところで成就されるという終末論的信仰の中でimpossible possibilityというニーバー独特の思想を語った。神は、歴史を無限に超越しつつも歴史に深く内在したもう方である。ニーバーは、この神における超越と内在の緊張関係をimpossible possibilityというニーバー独特の表現を使って説明したのである。不可能であることを認識しつつ、より高い可能性に向かって歩みを進める人間の生き方を可能にする力を、ニーバーは恩寵と言ったが 、正にニーバーの生涯の中にそれを見るのである。

 最後に、不可能であることを認識しつつ、より高い可能性に向かって歩みを進める人間の生き方を、ニーバーはimpossible possibilityで表現したが、それはニーバーの有名な「冷静を求める祈り」の中にも表れているのではないか。数え切れないほど多くの人々に愛されてきたこの祈り。人々はこの祈りを通して、あるときは変革への希望を抱き、あるときは変え得ない現実に冷静に対処する力を得つつ、神の恩寵の確かな支配に目を向けさせられてきたに違いない。xxvi

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

 ニーバーが、戦後の富めるアメリカを諫めた一九五一年発表のその論文の中で語る、この「冷静を求める祈り」の解説は、impossible possibilityに生きる意味を我々に語っているように思うので、その文章を紹介して本論文を閉じる。

 われわれの国全体に対するもっとも重要な教訓の一つは、いかに貧に処すべきか、いかにこの時代の可能性の限界の中で生きるべきか、いかに人間の歴史における断片的で挫折を伴うことがらを受容すべきか、いかに忍耐をもって人生の困難に耐えるべきかを学ぶことである。われわれは、このことを忍耐と冷静さをもってなすことができればできるほど、それだけ不屈の意思をもって行動することができるであろう。キリスト教信仰は、生の無常から逃避することを教えてはいない。臆病なあきらめを教えてはいない。われわれは、自らの力の範囲において、行動し、責任を引き受けなければならない。しかし、自分たちの力に限界があることも理解していなければならない。われわれは神では無いのだ。xxvii

(大磯教会 牧師)


  1. 上與二郎訳『基督教倫理』新教出版社、1949年。
  2. 高橋義文著「ニーバー」『新キリスト教組織神学事典』東京神学大学編、教文館、2018年、から引用。
  3. 千葉 眞『現代プロテスタンティズムの政治思―R・ニーバーとJ・モルトマンの比較研究』新教出版社、1988年、7頁。
  4. 千葉 眞『現代プロテスタンティズムの政治思想』、73-74頁、104頁注130。
  5. 『基督教倫理』、120-121頁。
  6. 千葉 眞『現代プロテスタンティズムの政治思想』20頁。
  7. ジョン・W・オーマン(John Wood Oman 1860-1939)英国長老派教会に属する神学者。エディンバラ大学、ユナイテッド長老派神学校卒業。
  8. 『基督教倫理』、33-34頁。
  9. John Oman, The Natural and The Supernatural. ジョン・オーマン『自然的秩序と超自然的秩序』上與二郎訳、千歳教会、1983年。
  10. 同、448-449頁。
  11. チャールズ・C・ブラウン『ニーバーとその時代―ラインホールド・ニーバーの預言者的役割とその遺産』高橋義文訳、聖学院大学出版会、 37-39頁。
  12. 高橋義文「ニーバーとその恩師サムエル・D・プレス」『形成』、No. 258・259、特集ラインホールド・ニーバー―生誕100年を記念して―、1992年6月。
  13. 上利博規『デリダ』清水書院、2001年。
  14. 同、3頁。
  15. 鈴木有郷『ラインホールド・ニーバーとアメリカ』新教出版社、1998年、105頁。
  16. 『ラインホールド・ニーバーとアメリカカ』107頁
  17. 髙橋義文『ラインホールド・ニーバーの歴史神学―ニーバー神学の形成背景・諸相・特質の研究』聖学院大学出版会、1993年、194頁。
  18. 鈴木有郷『ラインホールド・ニーバーの人間観』教文館、1982年、79-80頁。
  19. 同、303頁。
  20. 鈴木有郷『ラインホールド・ニーバーの人間観』94頁。
  21. 同、12-13頁。
  22. 同、22頁。
  23. 同、307頁。
  24. 高橋義文『冷静を求める祈り』その歴史・作者・文言をめぐって」ブラウン『ニーバーとその時代』付録、504頁。
  25. 高橋義文「ニーバーの『冷静を求める祈り』―その歴史・作者・文言をめぐってー」ブラウン『ニーバーとその時代』付録、504頁。
  26. 髙橋義文『冷静を求める祈り』ブラウン『ニーバーとその時代』、507頁。

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