牧師著作

『聖書のたとえ話』―新約聖書のたとえ話からのメッセージ

『聖書のたとえ話』―新約聖書のたとえ話からのメッセージ

(2020年12月発行 湘南キリスト教文庫第2号)

この『聖書のたとえ話』は、日本基督教団大磯教会の聖書研究祈祷会で話したものを纏めたものです。イエス・キリストのたとえだけではなく、新約聖書に出てくるたとえをその都度探し出し取り上げています。したがって、ここに集めたたとえ話は、有名なたとえ話だけではありません。パウロが語ったたとえ話も取り上げています。全部で57のたとえ話を取り上げています。

聖書のたとえ話は、現代の私たちとは生活様式も違い理解しにくいことも多いのです。そこで、まず、その解説をし、そして、そのたとえ話の中心点を知ることを心掛けました。

ところで、新約聖書の中のたとえ話のほとんど9割は主イエスのたとえです。主イエス以外には、たとえを宣教の手段として使った人はいないといっていいでしょう。主イエスは、置かれた厳しい状況の中で、弟子たちや人々に、神の国のことや信仰の事柄を分かりやすいたとえを、なじみ深い言葉で平易に語っています。それは主イエスにしか語り得ない話です。そして、現代の私たちには、時代も環境も習慣も違うので分かりにくいことも、当時の人々には誰もがわかる話だったのです。だだ、話が分かるということと、そこで語られた真理を理解することとは必ずしも一致しません。それを読み解く一助となれば幸いです。

そして、気が付くことは、主イエスが語るたとえは神の国について語っていますが、パウロの語るたとえは、イエス・キリストの福音を語っていることです。それは当然のことですが、キリストの福音が異邦人へと、どのように伝えられたかを語っています。たとえば、ローマの信徒への手紙11章16節以下の「接ぎ木されたオリーブ」のたとえでは、異邦人の救いが、イスラエルというオリーブの木に接ぎ木された野生のオリーブにたとえられています。神に選ばれた良いオリーブであるイスラエルの切り取られたあとに接ぎ木されたと語っています。この関係はイスラエルと教会のことをパウロは語っているのです。そして、このたとえでは、接ぎ木された野生のオリーブのことだけが語られているのではありません。その傍らに、切り取られた良いオリーブの枝が置かれているのです。神の救いの歴史では、相反する2つが混じり合う歴史です。神はオリーブの木を根元から切りません。神は、切る時にも、生かすことを考えられるのです。神の愛と厳しさは、恵みの神の2つの現れ方にほかなりません。

私たちは新型コロナ・ウイルスのパンデミックを経験しています。いつ収束するのかまだ分かりません。人間の思い上がりに対する裁きかもしれません。自然破壊による地球温暖化に対する警鐘とも思われます。しかし、神は裁きを行う時にも、恵み深いのです。私たちは試練に遭う前から慌てふためく土の器です。しかし、その中に納められているキリストの福音のゆえに、「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(コリントの信徒への手紙(二)4章8―9節)キリスト者の生き方があるとパウロは言います。それらを乗り越えて行く力を福音は持っているのです。神が共にいてくださるのです。

この本は、新型コロナ・ウイルスの感染の不安の中で、不安と困難の中にある皆様に、ささやかなクリスマスプレゼントとして贈ります。

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