「救いは成し遂げられた」
「イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた」。口語訳聖書では「万事が終わったことを知って」と訳していましたが、ここは「成し遂げられた」が原文の意味するところです
「イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた」。口語訳聖書では「万事が終わったことを知って」と訳していましたが、ここは「成し遂げられた」が原文の意味するところです
ヨハネ福音書は主イエスが「自ら十字架を背負い」、ゴルゴダへ向われたと記しています。共感福音書のようにキレネ人シモンが代わりに背負ったとは記していません。
ローマ総督ピラトが主イエスを裁くこの箇所には、驚くほどの矛盾、また相反するものの一致が記されています。主イエスは兵士たちに茨の冠をかぶせられ、紫の服を着せられ、平手で打たれます。
この箇所から総督ピラトの前における主イエスの裁判の記事が始まります。ファリサイ派や指導者たちは、イエスを大祭司カイアファのところから総督官邸に連れて行ったのですが、
主イエスが大祭司の屋敷でアンナスから尋問を受けている時、ペトロも庭で門番の女中から裁かれていました。そして、再び、今度は、ペトロが片方の耳を切り落とした大祭司の僕の身内の者から、
聖書の4つの福音書に共通に記されていることは、主イエスが十字架につけられて殺されたこと、復活されたこと、また、多くの奇跡をなさったことなどですが、その中で重要な記事の一つが、「ペトロの否認」の出来事です。
ヨハネ福音書の18章からは、いよいよ主イエスの十字架の死に至るまでの歩みへと入ります。キドロンの谷はエルサレムの街とオリーブ山の間にある谷です。オリーブ山の一部にゲッセマネの園があったと言われます
主イエスは、「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします」と、執り成しの祈りをしています。